仕事終わりの牛タン

今日、大好きな店長とごはんに行った。

 

店長が今月でお店をやめるから、送別会をふたりでやろうって話から、仕事終わりに行くことになった。

 

店長は一番尊敬する大人だった。

何をするにもお手本だった。

施術も、お客さんとの会話も、みんなとの関わり方も、モチベーション管理も、全てへの考え方も、人間性も、

全てが私の先を走ってた。

 

今のバイト先で働くのはもったいないと思う。

それほどいまの職場は淀んで汚くて、店長が素晴らしかった。

 

店長は正確に言うと店長ではない。元店長だ。

でも、私のなかではお店をやめても、他の人がここのお店の店長になっても、店長は1人しかいない。

 

伝えたかったことの半分は伝えた。

大好きだったことや、尊敬してたこと、どうにも出来ない自分が悔しいこと、だからこそ自分がどうにかできる立場になったときに、目の前の人を救ってあげて周り廻った恩返しをしようと思ってること。想いは募り過ぎて上手く言葉に表せなかったけど、できる限りで伝えた。

 

 

私に見えていなかったものや、店長の考え方、組織のあるべきとおもう形、スタッフの考え方、オーナーの考え方、お店への思い、など、たくさんのことを教えてくれた。

 

これほどに、お店のこと、私たちのいろんな方面を客観的に見れていて、様々な問題点を改善して、末端である私にまでちゃんと教えてくれる人はいなかった。

 

店長のことを忘れることはないし、組織で問題を抱えたりしたらきっと、店長がどこにいようと、私がどこにいようと、相談するとおもう。

 

私を雇って、一緒に働いたことを後悔させたくないし、育ててくれたことをいつか誇りに思う日がきてほしい。

 

 

 

バタフライエフェクトのように、私の小さな優しさが大きくなって遠くにいる店長に届くように、小さな羽でも止めずに動かしていたい。

 

ここで働いていなかったらこんなに考えることもなかった。

 

もちろん、他のスタッフの冷たさや、みんなで集ったときはニコニコしているのにその場から誰かいなくなったらその人の悪口を言うこと、自分のことしか考えていないこと、口だけであることないこと言うこと、その場だけの友情、等は

ここで働かなければ知らなくて済んだ。

 

誰よりも愛情をもって働いていた人が少数派ゆえに薄情で打算的で怠惰な人たちによって辞めざるをえなくなったことも、ここで働かなければ経験することはなかった。

 

 

全てが『いい経験』なのはわかっている。

 

これから起こるであろう経験で、明日は我が身で、起こったときに救えるのは今回の経験から考え抜いた私で、。

 

そうでなければ店長の無駄死にになってしまうとおもうし、そうしなければ私が今ここにいる意味がなくなってしまう。

 

この感情を忘れて大人になるのは成長ではないし、今でしか感じられない感情があるとおもうからこそ、言語化し、記録することが必要だとおもう。

 

頑張っている人が報われる世界にしたい。

頑張っている人が頑張っている風の人と区別される世界にしたい。

友情も愛情も、なんだって、

いつだって本物が本物として評価される世界で。

本物が大切にされる世界で。

 

自分も偽物にならないような自分でいたい。

 

たくさん吸収して大きくなりたい。