義務教育の果て

ある人材育成をうたう企業でアルバイトをしている。

 

その企業の発行するテキストをいくつか読んでまとめるという訓練を行う上で、疑問に思ったことがある。

 

 

社会人とは何か

 

『社会人としての◯◯』というキャッチコピーをたくさん目にする。

学生のアルバイトやバンドマンや芸人は社会に属していないのか?とおもうほど、限定的なものの言い方でされるその、「社会人」とやらはそのようなアルバイトなどを見下すような差別的で、それでいて社会の歯車にされる感覚をありありと感じさせる。

 

 

しかし、まぁ、とりあえず不快感を抱きながらも研修をまとめていく。

 

研修は、電話対応のしかた、コミュニケーションのとりかた、仕事の進め方、ホウレンソウ、レジリエンスと呼ばれるストレスに強くなる考え方...など。

 

マニュアルを覚えさせられ、一言一句間違わないようにロールプレイングで練習させられ、嘘の笑顔を作らされ、やる気の出し方や物事の受け取りかた、考え方すら統一させられる。

 

言葉も表情も心も考え方も

全てが一度否定され、誰が作ったのかわからない「社会人」の枠にはめられる。

 

義務教育よりも統制が厳しい「社会人」という枠に。

 

 

 

 

 

 

社会人が対峙するものは人なはずでは?

 

 

  • おい、客。

飲み屋では汚い愚痴たれて、肩がぶつかったら舌打ちするような、「人」に対峙してるはずなのに、どうして、そんなに、かしこまらなくてはならないのだ。

 

お前も言論統制されてるだけのただの「人」だろ。どうして、そんなにも感情のないやり取りをするんだ。

敬語の中に熱意や情熱も埋もれさせるなよ。

意味もろくに、わからない敬語でお互い何を話してるんだ。

私は会社と話してるんじゃない。お前と話をしてるんだ。ロボットならネットでしてくれ。

 

 

 

  • おい、上司

少し早くそこに入っただけの人にどうしてそんなに怯えるように働かなくてはならないのだ。

 

教えて「あげる」と思われなきゃいけないのだ。

 

お互いに「worker」ではないか。

バイトの新人と会社員1年目が区別されるのはなぜだ。

自分の仕事を減らすために手伝いに来た仲間であろう。

新人には自分達の助けにならないとでも思っているのか?

 

 

「偉い」ってなんだ。

お互いに役割の下に働いているだけだろ。

元々は新人だったはずの人になぜペコペコビクビクしなければならない。

神にでもなったつもりか。

 

ロボット相手に話すのは楽しいか?

なんでも思い通り動いてうれしいか?

アレクサでもなんでも連れてきて全部そいつにやってもらえよ。

人間と人間が関わるから面白いんだろ。

 

歩だけの将棋より、いろんな役がいるから強いんだろ。

 

 

  • おい、私のバイト先

研修、教育ってなんだ。

人事が食いつけばなんでもいいのか。

わたしみたいな曲がった考え方の人は型にぶちこめばそれでいいのか。

 

それで働くのが楽しくなるなんて言えるのか。

本気でこれで働くのが楽しくなると思っているのか。

誰が楽しくなるとおもっているのか。

 

言論が統制された中にある満足度95%はうれしいか?

 

 

 

これを受けて。

じゃあどうしろなんて

今の私にはわからない。

でもこれじゃないのはわかる。

日本が変わらなければ一企業も変わらない。

本気で楽しく働くためにどうすればいいかを考えてから足を進めていきたい。