亡くなった元彼の兄を思って

ここ数日ひきこもっている。

普段は軽く外で近所のこどもを観賞しながら、親に赴くままに語るが、今日はオンライン授業だったのもあり、親と一言も喋らなかった。

 

オンライン授業は私にとって、苦痛でしかない。外に出ればそれとなくシャキッとしているが、家では完全にオフしているのもあり、授業が上手く受けられない。

パソコン起動するのさえ面倒で愛用のスマートフォンで授業のコンテンツを開く。授業がわからないイライラがスマートフォンまで嫌いになっていく。

授業が終わりすることがなくなる。

スマホを開いては閉じるを繰り返す。

 

そこへ1件のLINEがくる。向こうがスルーして終わっていた会ったことのない大学の友人だ。

普段なら都合よく使われることに何の感情もないましてや嬉しいと思うこともある。

しかし、今回は自分に余裕がないため、その自分都合なLINEが、自分都合なLINEしか来ないことが、私にとってとても悲しいことに思った。

その辺から気分がどんどんひねくれていき、親が帰ってきてもなんとなく反発精神が旺盛になった。

 

自室にもどり布団にくるまったとき、元彼のお兄さんのことを思い出した。

お兄さんはこれよりももっとひどく深い悲しみのなかにいたのだろう。今なら少しでも彼の気持ちが分かるかもしれない。彼を救う方法は...こんな私を救う方法は...。

世界と拒絶できる眠りを選んだ。20時すぎというのもあってなかなか眠れず、少し眠ったと思えば、お風呂にまだ入っていなかったため、ひどく痒みに襲われた。

何度目かの痒みで起きたとき1時半をすぎていた。眠ったか眠ってないかもわからない睡眠で朝を迎えるのはとても辛いことだろうとおもった。彼も経験したのだろうか。

 

なんだか自分のなかに自分では制御できない 悪い気のようなものを感じ、それを祓い流すためにお風呂に入ろうと思った。

シャワーで体を洗う間、悪いものいなくなれ、きれいになあれ、きれいになあれ、と、念じた。

これは儀式なんだと自分に言い聞かせ、全てがきれいになるんだと暗示をかけた。

 

幸い、私はそんなものでさっぱりするくらい悪気が軽かったようで、お風呂からあがると今までのどんよりしていた悪い気がパッと祓われた感じがした。

 

 

そのあとは、親の死に目に会えないと言われても今やらなくてはと思い、爪を切った。

これも、身体も、心も、自分も、他人も、傷つけないようにと想いを込めた。

 

そこまでしたときにはもう、自分の苦しみは他人の苦しみに変わっていた。

自分の苦しみという自己都合が、亡くなったお兄さんのためという他人都合にすりかわっていたのだ。

 

そんな自分から自分を救うための道具としてお兄さんの死を使うのはどうなのかとも思うが、死から救われたことで喜んでくれているのではないかとも思う。

 

私はお兄さんの死にひどく同情し、悔しさの念が込み上げている。そして、原動力となっている。

お兄さんが生きていけた世界を作りたい。それが今の何よりの目標だ。

 

社会の何かをが変わっても、どんな研修を行っても、彼は絶望から抜け出せなかったかもしれない。でも、周りの環境が、もっと優しくあってほしいと願い続けることでしか、環境を変えられないとも思う。

 

生きててほしいというわけではない。

ただ、生きたいと思えるほどの世界がみんなに訪れてほしい。