心地よい敗北

今まで社会人という言葉に、へりくだりすぎる会社の常識をさんざん嫌ってきた私だったが、少し違う面が見えてきた。

 

昔見てた「太鼓持ちの達人」「ダイキギョー」というドラマがアマゾンプライムにあって、久しぶりにみてみようとおもったことが始まりだった。

 

太鼓持ちの達人は、会社にいるめんどくさい敵を褒めることで倒していく話。

 

ダイキギョーは、ダイキギョーというロボット戦隊を操縦するのだが、その構造は大企業と同じで、足や腕など、パーツごとの部門ごとに仕事が振り分けられている。

新任で足部分のリーダーになった主人公が部下に指示をどう伝えるかや上司としての振る舞いを学んでいく話。

 

 

ドラマたちを見ていくうちに学校と企業の存在のちがいについて考えるようになった。

 

今までの学校という環境はクラスが学校がどんなにまとまっていなくても分裂しても何の支障もない。

しかし、企業という、その集団に役割をもった団体では、どんな部署であったとしても、きちんと機能しなければならない。

 

その中で、人間関係はお互い歩み寄り、うまくやらないと崩れてしまい、仕事にも影響を及ぼす。

人間関係が悪いと自分の不利益を被ることもある。

 

だから、ストレスなく、円滑に、快適に、過ごすために、お互いで距離を計りあうことが大切なのだ。

そのために、お互いが歩み寄らなくてはならない。でも、近すぎてもならない。

 

そこで出てくるのが、敬語やマナー、社会人としての心得などだ。

 

自分がやりたいこと、成し遂げたい夢のために、周りの人との関係を良くするのだ。

 

 

先日、年が1回り上の人と、3回り上の人と遊ぶことになった。

それはだいぶ異様な空間ではあったが、そこには社会の理想があったように思えた。

(以下名前をおじさんとおにいさんとして話す。)

居酒屋に着くとその人たちはもう集まっていて、遅れてきた私を温かく迎えてくれた。年代が1人だけ違う私に気を使ってとても友好的に話してくれた。

私もそれが嬉しくて友好的に話した。

 

盛り上がりカラオケに行くことになった。

おじさんもおにいさんも私に気を使って、自分の知っているなかで最も私の年代に合いそうな有名で最近の曲を入れてくれた。

私も気を使って、自分の知っているなかでその人たちの年代に合いそうな有名な曲を入れた。

また、おにいさんはおじさんにも合わせて古い曲を歌ったり、おじさんと歌を歌ったりもした。

 

 

歌はみんながどれも知っている状態になりやすくて、サビを一緒に歌ってくれたり、( )の中の歌詞を歌ってくれたり、腕をふったり、タンバリン使ったりした。知らない曲が流れても、誰がどんな歌をうたってもみんながみんなを盛り上げた。

誰も1人で歌を歌いきって静かに次の歌を待つようなことはなかった。誰も聞いてない中で歌を歌いきることは絶対になかった。

 

そんな温かくて笑顔が絶えないみんなが適度に気を遣いあった空間がとてつもなく心地よかった。

みんな素ではないけれど、笑顔に嘘はなくて、みんなが笑顔になるためにみんなで微笑みかけあっていた。

 

会社もきっとそうあるべきだと私は思った。

それと同時に、会社で長年そうして居場所を守ってきた人たちだから、プライベートも関係を維持しようとして、気を遣いあっていくんだと思った。

己の未熟さ、幼稚さ、傲慢さ、思い上がりなどを感じ、侮ってた自分がとても恥ずかしくなった。でも、その私の未熟さを見せつけられて、グサッとぶった斬られて、清々しい気持ちにもなった。

 

ずっと解けなかった私の中の問題の答えを、なんてことないかのように、なにも考えていないかのように、ずっと昔から当たり前にもっていたかのように、提示してくれた彼らには敵わないとおもった。

 

嬉しくて悔しいこの気持ちは心地よい敗北といったところだろうか。