大学のPR動画を撮影するにあたって「自分の殻を破ったこと」というテーマで取材を受けた。
広報課での活動を見てオファーされた私は、「先輩の活躍を見て、素直に吸収できるようになった」みたいな旨を話した。
こんな感じの答えが欲しいんでしょと言わんばかりに求められた綺麗な答えを提出した。その言葉を嘘だとは思ってなかったけど、そんな立派なものではなく、言葉を並べただけで、そこに意味なんてなかった。
家に帰り、お風呂に入った私は、ふとその言葉について考え、気づいた。
私は、人の活躍を素直に羨ましがることができない。素直に教えてもらうことができない。
今の私は、素直に教えてもらう''ふり''をしている。自分ができないことから目を背けてきてる。
ということに。
今まで見てきた「夢」というものは、なれそうなもの、少し背を伸ばしたらできそうなもの、でしかなかった。
今まで得てきたスキルは、自分が得ることができそうなものを拾い集めていっただけ、でしかなかった。
きっとその根本にあるのは(従)兄弟の中でも、ボランティア団体でも、バイト先でも、どんなところにいても、いつも年下だったということだと思う。
年上の人たちはいつも、どんなに手を伸ばしても届かない「何か」があった。
彼らには運ゲーと言われている人生ゲームでさえ、敵わなかった。敵わないことが悔しかったが、素直に悔しがれなかったから、「年齢差」で自分を納得させてきた。
いつしか戦わないフィールドを探すようになった。
そして、勝たなくても負けないように、たくさんの付け焼き刃を着けた。
年上の塊についていくために、表面に見えてきた、出てきた物はひとつ残らずかっさらっていった。
その少ない情報を上手く使えるように、大きく見えるように、会話術や関わり方も学んだ。
このときの私は逃げることに全力疾走だった。
そのことを周りにも自分にも悟られないようにすることに必死だった。
今は体に馴染みすぎてここまで必死に相手に染まろうとしていない。
同い年や年下との関わりもできてきて、
あまり馴染む必要性を感じていない気がする。
きっとそれは、年上の呪縛から逃げてきたからだろう。
一生逃げるように生きていくんだ。私は。
逃げることからも逃げ、負けることすらまともにせず、お豆として生きていくんだ。
逃げてきてはいるが、逃げるという武器が私に備わったことはウィークポイントではないと思っている。
ハリネズミのようにナイフほどの鋭さはないしなやかで柔らかい針が無数に刺さってる。
その針は自分も貫いているのであるが。
たたかうことは、もうすこし先になりそうだ。