恥だからこそ大切にすべき

仕事がうまくいかなかった。

モチベーションもなくて、負の循環で、作業が停滞してしまった。

 

ホウレンソウと担当さんに二度目の注意勧告をされた。

前回はその通りだと思ったが、今回においてはホウレンソウをしたくてもできない理由があった。言語化できなかった。なにがわからないのか、わからなかった。

 

話しかけたい気持ちはあったが、

なんて話しかけていいか、なにを話せばいいのか、話しかけていいものなのか、私はなぜ停滞してるのか、

わからなかった。

 

なんなら、停滞してることもよくわからなかった。

私なんかにふるくらいどうでもいい仕事に忙しそうな担当さんの時間を使わせていいのかとか、話しかけに行かないような言い訳を探す自分もいた。

 

 

しかし、その諸々を解決するために私は行動を起こさなければならなかった。でもできなかった。やらなかった。

 

 

私が新人の担当になったときには、分からないことが分からないことを忘れないであげたいと思った。

間違ってることを否定するだけでなく、どのような行動が正しいか試行錯誤した結果を評価すべきだとおもう。

 

良かれとおもってやったことを淘汰はしないでほしかった。

 

 

なんかすごい責められた気分になって、反省なんてしてられないほど落ち込んで、全てを他人のせいにして自分のことを棚にあげるとするなら、「教えてないあなたたちが悪い」と思っている。

 

与えられた情報内で処理した私に、情報外の条件でバツをつけられ、その情報をインプットしたらまた違う条件でバツがつく。

 

やられないと気づけない。

私も生徒に対してそのようなことをしていただろう。情報を知ってしまうと知らない時には戻れない。勉強なんて誰のためでもないから助かったなんてフォローすらできない。勉強を教えることはなんて残酷なんだ。

 

 

 

私は前の部署で分からないことがあったらちゃんと聞いてくれるから助かりますって言われていた。

なのに今は聞きなさいって怒られてる。その頃の先輩からはなんで出来なくなっちゃったんだろうっておもわれているだろう。

 

メンタルを保つためには自分のなかにたまごっちを飼い、恥を、成長を見られることを受け入れるしかない。ここで恥ずかしいと思わないためには、自分事を他人事にするしかない。

私が私のたまごっちを育てる。それだけだ。

 

そう言い聞かせて

恥をかきながら、成長していくのだ。