君になりたい

最近、関西弁を話す関西圏の人ばかり気づいたら好んでいる。

想いを寄せる彼も当然含まれる。

しかし、そこで疑問に思ったことがある。

 

関西弁が好きだから彼が好きなのか?

それとも、彼が関西弁を使ってるから、彼と同じ関西弁を使う人に彼を連想させて好きになるのか?

 

彼が欠片なのか?欠片が彼なのか?

 

卵が先か鶏が先かくらいどうでもいい話なのでこれはこれくらいにする。

が、にしても、関西弁は良い。なぜかとても魅力を感じる。不思議だ。

 

 

ベッケンバウアーで、最近、誰かにとっての「君」になりたいとしばしば思ってる。

音楽などでだいたいメインで出てくる「君」という存在。日本には特に自分の話よりも"「君」を想う曲" が多い。

 

誰かの想う「君」に私が選ばれてたらと思う。

贅沢を言うなら君の「君」になれればいいのに。

 

冬の寒さのせいもあるが、最近、孤独をとても感じやすい。だれかの目、頭、存在の中に私は存在しないのではないかと思うことがある。

 

そんなときは、極力意味のない写真をインスタグラムのストーリー機能や、LINEのタイムラインで投稿し、閲覧者を確認し、誰かの視界の中に私が存在していることを確認する。

大体、そんなに仲良くない人が見てることが多いが、話しかけても平気そうな人には個人でメッセージを送ることもある。

 

こんな無礼でアタオカなことができるのは無論酔っているからである。酒は忍耐力と判断力を狂わす。

酒が嫌いになってきつつあるほどだ。

それでもあると飲んでしまうが。

 

君には絶対連絡しない。

思い出しながら泣くこともあるけど、

それでも酔っていても何してても、

君にはなにもしない。

 

その理性だけ残ってるのが悲しい。