自分を受け入れられたい

4人の先輩に履歴書の添削をお願いした。

 

一人一人違うところにちがう観点から

FBを入れてくださった。どの先輩からもすごく有難い御言葉をいただけて、自分には足りないものを痛感し、助けてくれる先輩がいることに感動した。

 

 

その中の一人に、

私の履歴書」を「履歴書」として評価した先輩がいた。

その評価、改善案はもう、私のモノではなくなっていた。

 

頭を下げない私の頭を上から押さえつけられるような心地がした。

就活とは頭をいかに下げるかだと考えている人にすれば当然のことだと思う。

でも、涙が出るほど悔しくて苦しかった。

 

例えるなら、私は、付き合ってほしい人に対して「付き合ってほしい」と手を差し出すことはあっても、頭は下げない。

でもその人は恋愛のアドバイスとして、付き合うためなら頭を下げろと言っているような感じだった。

 

 

頭を下げて会社員にさせてもらうくらいなら、頭を下げずに割りのいいアルバイトで食いつないでいきたいほどだ。

 

ただ、礼はする。それほど非常識ではない。

土下座と礼は違う。

 

自分でも、添削をお願いしておいて批判とは先輩に対してとんでもなく失礼だとおもう。

でもその先輩は私を見ていない、受け入れていないように感じた。

 

 

 

思い返せば今まで、本物の自分を受け入れてくれた人としか深く関わってこなかった。大切にしてこなかった。

 

本物の私というのは、いつでも自分が正しいと思っていて、正義感が強くて、与えることが好きで頑張ることが好きで、誉められるのがすごく好きで、夢見がちで、考えている自分が好きで、難しい単語は嫌いで、でも難しいことを考えることは好きで、順応性を持ってはいるが、順応することを酷く嫌っている。

 

大切だと思える人は皆、こんな面倒な私のことを「そんなところも良い」と受け入れてくれた。

多くの人に受け入れられなかったことから自分のコンプレックスになって、めんどくさい女と自分の価値観に蓋をし、ネガティブになってしまった。

本当の自分を受け入れられないから、受け入れてもらえる形になりきることが上手くなる。

 

長期間お付き合いしてた人や卒業しても会いたいと思える人は、タイプも何もかも違うように見えていたけど、

どの人も、私の価値観に賛同してくれた。心から思ってくれてるかはわからないが、きっと、どこかしらは良いと思う部分があり、そこを素直に肯定してくれた。

 

見た目でも、仕草や行動でも、優しさでもなく、私の頭のナカを誉めてくれた。

 

言動は、振る舞おうとすればどうにでもできるから、変えられないものを褒められることのほうが嬉しい。

 

 

 

 

こんな性格だからこそ、今回、

変えられないものや、言いたいことを変えるのではなく、

変えられることを、より相手に受け取りやすい形に収めるように、アドバイスしてくれた先輩方にすごく救われた。

 

私も、そんな素敵な先輩になりたいと思うし、自分自身も応援の力を活かして絶対に自分の思い描く理想をつかみたいとおもう。