炭や灰は燃えてもなくなることはない

自分の役割ではない事象が起こったときに、消化不足を起こすことがわかった。

 

その場ではそれらしくそれなりに、いや、それ以上に振る舞うことができる。

車や一人になったときなど、自分のテリトリーに入ったときに、くつくつと煮えてくる。

 

そういう時、今まで消化できなかったことが思い出される。1年前の善意が搾取されたこととか、4年前の理不尽に起こられたこととか。

 

女性は過去のことを掘り返して怒るなどと巷の男女の違いなどをまとめたサイトには書いてあり、こうはならないようにしようと心がけていたが、やはり女性の私には無理なのかもしれない。

 

今回の事の発端は土日に起こった2つの事象の連鎖による。

土曜は、友人とドライブをしてなんとなく友人の態度が気に食わなかった。

日曜は、お父さんが「母の日だから料理をプレゼントしよう」と言い出したにもかかわらず私に2000円を渡すだけだったのがモヤモヤした。

 

一つ一つはくだらない。でも、燃えきれないこれらは炎が消えたとしても炭や灰となり私の中に蓄積し、次に燃えた何かと一緒にまた燃え、いつまでも消えることなく溜まっていくのだろう。

 

きっと本人の謝罪やなんかでおさまるものではもうない。私の陣地に置かれてしまったモノは誰かがどうにかできるものではない。

 

ストレスは必要なものではあるけど、私はやっぱり笑顔で生きていきたい。

 

炎を灰にする作業だけに今は専念して、次の炎が起こらないように祈るだけだ。