「一言」

一言で心を動かされた。

「気を使いすぎてるでしょ」

その一言はハッとさせられる言葉だった。

どこかのドラマにも、ググると出てくるモテフレーズ集の中にもない、その人が私に向かって言ってくれる言葉だった。

 

言葉は私の深層をじんわりと温めてくれた。相手が私以上の凍える経験をしていたからこそ出る温かさだと思うと一層ありがたみを感じた。

 

私の知らない私を見つけさせてもらって、その目の鋭さはナイフがひと突きで体を貫通して真っ直ぐに抜かれたようだった。

 

今回のその人の言葉は、今まで誰も見つけてくれなくて、私もその感情の居場所を忘れてしまっていた「隠している本心」を見透かしてくれた。

それも、核心に触れてこじ開けるのではなく、出来立てのわたあめのようなほんのり温かくてふわふわした優しさをそっと私の前に差し出してくれた。

 

その人の言葉・態度は汚物の処理に慣れてるようだった。犬かなにかを飼っているか、もしくはきっと、今までにとんでもない女と付き合ったり、酔っぱらいからとんでもない迷惑をかけられたり、散々な目に遭ってきたのだと思う。

それがその人をこれほど魅力的にさせるから、辛い汚い経験はその人の深みを作るのだと心から思えてくる。

そんな経験があったかどうかはわからないが。

 

人の寂しさに気付けるのは自分が寂しさを知っているからという彼の考えは、私の色・形ととても似ていた。

 

私はその人に付き合ってほしいと思ってない。その人もきっと、付き合いたいと思ってない。性を満たす都合の良い関係を狙っているわけでもきっとない。でも、嫌っているわけでもない。

そこまではきっと共通している気がする。

ただ、その人はタバコで私は火遊びなだけ。だと思う。

 

なんでも構わないから構ってほしい。それか、その心地よい一言で私を突き刺してほしい。今はそれだけ。