変わってたうどんと私

群馬にいる元彼に会いに行った。

3年くらい前に一度食べた十文字うどんが忘れられず、群馬にいくならと食べに行った。

出汁も肉もネギも久しぶりの肉汁うどんだなぁと実感。ただ、おそらく前よりもうどんのコシがなくなってて、ゴボウのかき揚げもドーナツ型にきれいに成型されていた。それはそれで美味しかったは美味しかったのだが、過去の記憶から想像してたのとは違っていてあの頃を辿りたかった私としては少し残念だった。

 

元彼は相変わらず不毛な愛に煩わされていた。でもその相手への愛は前よりも深まっていて相手を大切にしてるのが節々から伝わってきた。すごくいいな、よかったなと思った。

私のことを今の彼女がうとがってるみたいで、元彼もそれに応えたいようで、でも彼女の世帯もちという他に愛する人がいる苦しさを感じてて、その葛藤の渦の中で溺れそうになってるのが伝わった。

元彼も彼女も言ってることが分かるような分からないような感じだったから、やっぱり群馬は方言も考え方も埼玉育ち東京住みの私とは違うなと思ったりもした。

でも元彼は私のことを1年半かけて知ろうとしてくれただけあって、恋愛とか仕事とか、つまり人生のアドバイスは私の価値観に合わせながら提案してくれた。私にとって元彼は、もちろん元々いいなと思っていたことはあったけど、今連絡するのは復縁がどうこうとかそんな目先の欲望を満たすとか、将来の重荷を背負わせたいとかではなくて、(向こうは目先の欲望を満たしてくれても全然いいのだけど)、私の中では、「価値観は全然合わないけど他人の中で一番の理解者」という立場から今私が私らしく生きるための選択のヒントを見つけたいと思って話しているつもりだ。

今回もその欲しかった言葉が私の背中を押してくれたから、あとは自分で決断するのみ。

それができるかが問題なのはまた別の話。