若作りと友達作り

ティンダーでマッチした女の子と仲良くなった。

あってすぐ相席屋に行って、誰と相席するわけでもなくひたすらご飯を食べて食後のスイーツまで。

気が済んだら出会いたい男が集まる所に行って、楽しかったり楽しくなかったりを楽しんで、いいと思った男性組と抜け出して、その人が泊まるホテルで王様ゲームして。

 

その女の子は21歳で、見た目も綺麗系だし、しなやかな強さを持っているから、周りからは年上に見られることが多いと言う。私も21には見えなかった。

私も21くらいのときは、性格は老成してるって言われることがあったし、それなりにいろんな経験もしてきたという自負もあったからどや顔でその言葉を受け入れてたけど、23歳11カ月にして、思ったことは、私は大人っぽいわけではなくて、諦めているのかもしれないと。

諦めが大人なのだとしたら、きっと大人に近付いているのだろう。でも、そんなもの心が死んでいくだけだから、私はいらないとおもう。そして彼女も。

 

女友達がいる奴には分からない心の穴みたいな何かが彼女にもあって、やっぱり私のような欠陥がある人しか私は愛せないのだなとつくづく思う。

彼女は自分が若いということに気付いていないということが若いという証明なのだろうなあとか思う。

私は若くないのかというと、そうでもなくて、やっぱり年相応なのだろうなとおもう。ああ、もうすこしで成長しそう、できそうって言ってからどれくらい経っただろう。ステージレベルが上がる毎に敵もハードになっていくのに、攻撃力も防御力も全然アップしてくれない気がする。

それでも生きていってるんだから、やっぱりパーティに助けられてるんだよなあ。この前私が生きるの向いてないと言ったときに、23年も生きたのだから向いてないことはないんじゃない?って言ってくれた誰かの言葉に生かされてる。

 

また別の女友達とご飯に行ったときに、旅行の話から女友達についての話になった。軽くお説教みたいに丁寧親切に男性と関わることの不潔さや女友達との関わり方を教えてくれて、私がどれだけ人間活動に向いてないかを露呈してくれた。帰りにはわざわざ「楽しかったよー」のLINE付きで。

男にすがらないと生きていけない人のことを、そいつに親でも殺されたんかと思うくらいに嫌うその子は、「自分の物指し」と「友達だからを枕言葉に付けたらなんでもズバズバ言っていいという大義」を正義に、男にすがらないと生きていけない子に対して説教を浴びせ続けているらしい。

それらしい正義が好きなのは女の性なのだろうか。私も気持ちいいと思ってしまうから許せないと思ってしまうのだろう。

 

ある程度お互いに利害があるほうが気が楽だ。大切にしなくて済むって言うと聞こえは悪いけれど、私と一緒にいることのメリットが相手に提供できないと不安になってしまうし、相手がしっかりしすぎると自分が相手に迷惑をかけたときに許してもらえないかもと思ってしまうから、ある程度Win-Winな何かを求めてしまう。

自分自身に価値を自分が見いだすことができないから、提供できる技術に頼ってしまうところがあるんだと思う。

私はハメを外さないと生きていけないくらい、ちゃんとしようとすると爆発してしまう人間だから、それくらい技術を求められて調整してやっと土俵に立つことができるのではと思ってる。

 

人に諦めてる部分はたくさんあって、母のような私が何をしても無償の愛を注いでくれる人間はいないのだと頭では理解してるはずなのに、心がついてきてくれない。

 

人間関係はずっと上達することはないのかもしれない。

それでも私はまた人と関わろうとする。その度に傷つき、凹み、病んで、人に救われて、また希望と期待を持つのだと思う。

 

私を変えてくれる誰かに出会えるのが先か、絶望しながら消えていくのが先か、諦めて悟るのが先か…。