良い子が良いってもんじゃない

放課後デイサービスで働いていて、今日はとてもしんどかった。しんどいのは彼ら子供たちが障害者だからではない。健常者兼大人の職員と障害がほとんどないただのクソガキが苦手だからだ。

やはり私は障害者が好きだ。

 

私は健常者の中でも、ちゃんと他人に期待された枠組みに型どられた模範的な健常者だとおもう。

だからこそ、模範的ではない人を羨ましく思う自分がいる。

 

今まで私は兄を見て生きてきた。ゲームを止める切り替えがなかなかできなかったし、勉強も家では宿題もなかなかやらないくらいで、兄はいつも怒られていた。

兄と似て私も基本的には怠惰な性格ではあったが、怒られることが苦手だったため、兄が怒られている間に修正することで怒られることを避けながらいい子に生きてきた。

 

兄はゲームが上手くて、好きなことには熱中していて、好きなものは何年経っても揺らがなくて、頑張ろうと思ったものは一夜漬けとかでもそこそこいい結果が出る。

 

私はゲームもできない・しないし、宿題もそこそこちゃんとやるし、授業もわりとちゃんと受けてきて、怒られることはなかった。でも、集中力はそんなにないし、熱中できるほど好きなものもないし、熱はすぐ冷めてしまい、心の緩急が激しい。成績は兄とさほど変わらない。

 

それでもいい子でいることが良いことだったのだろうか。

 

今私がプロゲーマーや、芸術家や、デザイナーなどの感覚の鋭さと夢を叶える職業に就けていないのは、いい子でいることに注力しすぎてきたからなのではないかと思う。

だから、切り替えをよくして怒られないようにすぐやめられるように好きになることをやめるのではなく、やりたいことをとことんやる時間として違うことの参加を拒否するのであればやらせてあげるスタンスが必要だとおもう。

 

社会に出た時に困らないようにと厳しくするのは、モラハラさながらだと考える。私はこの先の厳しさにぶち当たった時に過去を思い返して幸せだったと気付けることこそが、未来の支えになるのだと思う。