断られ続ける日々

最近ひどく落ち込むことがあり、

それから1週間近く回復できていない。

 

向こうから会おうと言ってわざわざスケジューリングした約束が3件(1件は当日数時間前)キャンセルになった。

不採用通知も続々と来た。

中学生くらいからつるんでる腐れ縁のようなやつの手伝いをしたらその人から私が傷つくような嫌なことを2日に分けて言われて、またひどく落ち込んだ。

 

最近は趣味が楽しくなくなってきてて、

ご飯も美味しくなくなってきてる。

大好きだったはずの音楽は煩くて不快に感じる。

人と会話しても相手のエネルギーとのギャップで自分が惨めな気持ちになる。

眠気も酷くて、何に対してもやる気がでない。

体も表情筋もまともに動かなくなってしまって、何をするにも疲れる。

寝付き悪いし、起きても無気力。

 

企業でアルバイトでは、先日、眠くて眠くて全く集中できず、ミスばかりで使い物にならなくなってしまった。今までで一番酷かった。

挙げ句には、ここで就職もできないのに、こんなバイト、なんの役にも立たねぇな。なんて思ってしまった。

 

オンライン授業受けなきゃなのに、説明会参加しなきゃなのに、今日は食べ物を口に詰め込むことと携帯いじること以外なにもできなかった。

 

その近況の一部を大学の友人にLINEした。

彼女からは鬱病かもしれないといわれた。

 

病院での受診を勧められ、近所の病院に電話したが、予約は7/19以降からしか取れなかった。

病院からも断られたことでまた落ち込んだ。

 

いつまで私は断られ続けるのだろうか。

鬱とも鬱ではないとも診断してくれないまま、明日もバイトして、これからも説明会を受けなきゃいけないし、選考でも友人関係でも断られ続けなきゃいけないのか。

 

癒しだったものが響かなくなった今、私を癒してくれるものはない。

 

いっそこのまま消えてしまいたいほどに

いや、そこまでではないけど、

ここからは逃げ出したいくらいには

鬱。

 

これは憂鬱?それとも鬱?

面接が楽しかった話

今、内定は0、第一段の申し込んだ企業から不採用通知が続き、残り1社となった。今回の面接で最終面接で、今できる進んでいるものは全て終わった。

 

終わったといっても内定0なのでこれから、また、第二段、第三段と、会社見つけて説明会に参加して面接してを繰り返さなくてはならない。

 

今回は、そんな、第一段のラストの最終面接についての話である。

 

R社は、対面合同説明会ブース→オンライン説明会→オン一時面接→オン面談→オン二次面接→オン面談→対面面談→対面最終面接→対面面談。

といった流れだった。

 

事あるごとに面談を挟んでくれる。しかも担当の方はずっと同じ人。就職サポーターのようにずっと寄り添ってくれる。

 

昨日も別室で30分、最終面接の前に緊張を解きほぐすためにお水をいただき、面接の練習や雑談に付き合ってくれた。面接終わってからも、どうだった?言いたいこと言えた?って面接終わった私を迎えにきて控え室で少しお話してくれた。

 

一次面接からずっと、幼稚園の先生のように、5才児のパパのように、丁寧に、丁寧に扱ってくれた。

 

毎回、緊張を解きほぐす、柔らかくて力強くて、優しい暖かい空気に変える能力は、私も身に付けたい力だ。

 

そして最終面接。

そこまで至れり尽くせりで出てくる人は相当厳しい人かとおもっていたが、

とても「素敵」という言葉が似合うような、ギラギラしたイケイケなおじさまだった。

 

和やかに話を聞いてくださって、マナーを忘れてしまうほどだった。フランクで笑顔で仕事に対して情熱的で、なによりも私と対等だった。

居酒屋で私の話を聞いてもらってるみたいな感覚だった。すごい人でオーラからもそれは伝わってきているのに、私の考え方ややってきたことを純粋に楽しんで聞いてくれていて、本気で「熱」のみで採用しているんだとおもった。これで落とされたらよくわかんないけど。楽しいだけってことか。

 

でも、この会社を受けてよかったと思うし、もし不採用だとしても、有意義な時間だったと思える。

それほどに素敵な人たちで、夢を見ることができた。

 

こんな大人になりたい。素直に思った。

そんな人と働きたい。内容は自分にとって魅力ではないけれども。それでも言いなって思えるほど。

 

だから、受かっててほしいなぁ……

 

 

 

 

 

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後日談。

しっかり不採用通知が来た。しかも郵送で。

CONCEPT LIFEを読んで

約一年間働いているバイト先から、最終面接の前の「常識力テスト」をきっかけに不採用通知が届いた。

仲良くしてくれているそのバイト先の上司のワタナベさん(仮)に報告したら、長文での励ましのお言葉と一緒にこの本をおすすめされた。

 

内容は私みたいな強めなタイプの人がおばさんになるまでのキラキラした労働人生といった感じだった。

説教じみた諭しみたいなものがあらゆる場面にちりばめられていたけれど、そのどれもが自分の中に持っている価値観で、どれも真新しくて参考になると思うような特別な言葉ではなかった。

もちろん、どの言葉も素敵で、大切にすべきで、実行することは難しいけどできないことではなくて、実際に私が心がけてることもたくさんあった。しかし、今の私が全部を実行できているかと問われれば、「やらなきゃいけないのはわかってるんだけどねぇ」といってしまうようなものもあった。

 

でも、私はこの本を読むことが大切なのではないと思っている。

ワタナベさんから私に対してこの本を薦めたこと自体が価値のあるものだと思う。

つまりCONCEPT LIFEというこの本自体が、ワタナベさんからの長文のメッセージだ。

 

この本で、私が今できていないことを指摘されたのではなく、できていることを肯定されたのでもなく、ワタナベさんは「この気持ちを大切にしていきたいわよね」という、気持ちを表しているような気がする。(※語尾の「わよね」というのは、いきたいという強いものではなく、いきたいわ。と本人が意識している部分と、よね?と私の中にも共感できる部分があると信じていることを合わせた口調であり、言いそうだからという意味ではない)

 

私自身は他の人(特に同世代の日本人)と共通する部分があまり多くはないと感じているし、その共通しない部分に私なりの自信を持っている。

その価値観と似たものをワタナベさんも持っていて、私たちは、周りがどういうことを考えるか、こんな人はこんな風に考えるのだろうという感覚にも敏感でありながら、そのなかで自分はこのように考える・考えたい、という感覚や考え方を明確に持っているのだとおもう。

 

だからこそ、ワタナベさんはこのような本を私に薦めてくれたのだと思うし、共感し、私が何かを考え、就活にとってワタナベさんの考える道を本を通して明確に伝えることができるだろうと思ってくれたのだとおもう。

 

この本とワタナベさんがいつ出会ったのかはわからないが、この本の作者の柴田さんと私に重なる部分を感じてくれたように思える。本を読んで、この人と考え方が似てるなあ、目指している姿がなんとなく同じような感じだなあ、このブログでの話し方も似てるもんなあ(このブログをワタナベさんは知らないが)。などと、漠然と思ったこともあるが、なによりも、私はこの本を読む前に、ワタナベさんとお昼休憩で雑談をしているときに、「道をおいしそうだと思った飲食店で覚える」という話をしていた。柴田さんも飲食店が印象に残るといった話をしていたため、具体的にも重なっていると思う。

 

意見の合う友達から、仲の良い友達を紹介してもらったような、お母さんのお母さんと会ったみたいな感覚になった。

自分より強くて尊敬するお母さんが尊敬するお母さんだから、私にとっても尊敬できる部分があるよね。みたいな。

私の今の考え方は21歳なりの荒い若さみたいなものはもちろん山ほどあって、たぶんワタナベさんからしたら指摘したくなるもどかしい部分しかないほどたくさんあるだろうけど、根源の部分では悪くないとおもってくれてたりもするのかな、と思う。

 

また、私は自分でも気づいているが、腰が重い。起動力はテンションで、行きたい道や必要性、そのときの気分という条件がそろわないと細かい努力を突き進むことができない。逆に条件が揃えばどこまででも極端に行動することができる。だれだって腰は重いものだろうから普遍的なものではあるとはおもう。きっと、そんな私のやる気スイッチをワタナベさんは押そうとしてくれたのではないかとも思う。

 

 

本自体よりも、そのワタナベさんの気持ち。ただの5か月前に出会ったバイトでしかない私に対する誠心誠意の向き合い方。ビジネスだけではない、私のこと、私の人生をより私の納得する物にするために支援してくれようとしている姿勢。

そんなものに私は深く心を動かされた。

 

今日が私の就活の始まり。ほかの人は内定をもらい、懇親会に参加している中で、私は0からのスタート。安心のために安定な企業に早期に落ち着くより、焦りながら、泥臭く、ダサい私でぎりぎりまで奮闘するほうが私らしい。そして、そのダサい恥ずかしい未熟な私をこうやって隠さずに公表していくことが一番私らしい。

最終的に納得できれば最終をどこに見出してもよい。就活でも、25歳になった時でも、労働しなくなったときでも。ただ、最終的な後悔だけはしないようにしたい。

罪人より重い罪

アルバイトから帰る電車。

遅延かなんかでいつもよりもすし詰め状態だった。

三河島駅につき、ドアが開こうというその時、車内がどよめいた。

一人、また一人と恐る恐る車内から出ていく。そこでわたしは女性が倒れているのを認識した。

爆音のイヤホンからの音楽を下げ、煩わしいコードと格闘しながら女性を見ると、男性に抱えられて外に出されていた。

 

私は、女性に声をかけ、水がいるかと聞くといると言うのですぐに自販機で水を買い手渡した。

体勢が不安定だったため、回復体位を促した。

 

それしかできなかった。そのあと、「あぁ、私なにしよう。」役割を見つけることができず、とりあえず「もう一人で大丈夫?」と声をかけ、うなずくのを見て電車に戻ってしまった。

 

戻ってから数十秒、電車は出発しなかった。

寝転んでる彼女の姿をみて、自分の居場所のなさを優先して電車に戻ってしまった自分への罪悪感がふつふつと沸いてきた。

 

少しでも手を貸してしまった、その助ける当事者になった人は、自分が「気持ちいい」と感じるほどに、助けると決めたゴールまで助け抜かないと、助けずに見ていた傍観者よりも罪悪感が大きく募ることがわかった。

 

人生において、「自分の目の前で誰かが援助を要するほど体調が悪くなる」場面は、そう多くはない。

しかし、(中時間かけて東京に頻繁に進出する埼玉県民だからだろうか)私は、高校1年生~大学4年生の7年間で、3~4回、そのような人に遭遇したことがある。

 

今までも、助けることができたり、できなかったりして、気持ちいい思いや不甲斐ない思いを味わってきた。不甲斐ない時のことは、今でも覚えている。

人生で後悔をしたことがない私が、唯一後悔したことを挙げるとするなら、「大変な思いをしている人に対して、何もしなかったこと」だ。

 

人に罵倒されるよりも、何をされるよりも、心にモヤモヤと色濃く残っているものは、勇気が出なかった後悔。

 

こんな嫌な思いを何年も何年も引きずるくらいなら、少しもどかしくても彼女のそばに居てあげればよかった。

 

罪を犯したのに、その場から逃げ去って、ずっと警察から逃げているような、そんな犯罪者のようなハラハラとモヤモヤしたとても不快な気持ちである。

炭や灰は燃えてもなくなることはない

自分の役割ではない事象が起こったときに、消化不足を起こすことがわかった。

 

その場ではそれらしくそれなりに、いや、それ以上に振る舞うことができる。

車や一人になったときなど、自分のテリトリーに入ったときに、くつくつと煮えてくる。

 

そういう時、今まで消化できなかったことが思い出される。1年前の善意が搾取されたこととか、4年前の理不尽に起こられたこととか。

 

女性は過去のことを掘り返して怒るなどと巷の男女の違いなどをまとめたサイトには書いてあり、こうはならないようにしようと心がけていたが、やはり女性の私には無理なのかもしれない。

 

今回の事の発端は土日に起こった2つの事象の連鎖による。

土曜は、友人とドライブをしてなんとなく友人の態度が気に食わなかった。

日曜は、お父さんが「母の日だから料理をプレゼントしよう」と言い出したにもかかわらず私に2000円を渡すだけだったのがモヤモヤした。

 

一つ一つはくだらない。でも、燃えきれないこれらは炎が消えたとしても炭や灰となり私の中に蓄積し、次に燃えた何かと一緒にまた燃え、いつまでも消えることなく溜まっていくのだろう。

 

きっと本人の謝罪やなんかでおさまるものではもうない。私の陣地に置かれてしまったモノは誰かがどうにかできるものではない。

 

ストレスは必要なものではあるけど、私はやっぱり笑顔で生きていきたい。

 

炎を灰にする作業だけに今は専念して、次の炎が起こらないように祈るだけだ。

 

書くことがないけどそれは良いことではない

最近、人との関わりが減って、作業も環境も新しいことが起こらないため、文章を書くタイミングがない。

 

細かいことは多少あるけど、140字もあればまとまってしまう。

 

このブログは、喜怒哀楽、恥、考、何かしらが高ぶったときに保存ツールとして使っている。

 

私は無が嫌いだ。恥や、痛み、つらみ、悲しみも嫌いだが、それらは笑えば面白さになる。

無はどこまでも無。0は何をかけても0だから嫌いだ。

無になってしまうと、ちょっとやそっとのことじゃ精神が復活することができない。

雷に打たれて電気ショックで復活しようにも、室内から出ないから雷にも打たれない。

 

引きずり出してくれる人を待っているが、友人が多くはないし、そんなお人好しで私を好いてくれる人もいないから、そんな人は待っていても現れない。

 

音楽を爆音で聞いて心臓マッサージをしてみても、あばらが折れそうになるだけで心臓がなかなか動き出さない。

 

ゼロから一人で何かを生み出せる人を純粋に尊敬する。そして、できない自分を軽蔑する。

 

 

どん底があるとするなら此処ではない。しかし、この環境はとても居心地が悪い。

 

このタイミングで強気な姿勢

バイト先の人から、明日の面接の激励をもらった。

 

受かっても、落とされても良かったと思う

とか、

ありのままで拾ってもらえるところを探した

とか、

途中で嫌になったらズームを切れば良い

とか、

 

とにかく強気な言葉をたくさんもらった。

忘れてた強気が戻ってきて

急に気が大きくなった。

 

私のありのままで、働けそうなところに

拾われればそれでいい。

全部に受かるためにいいこになる必要はない。

働きたいスタイル、信念に合ったところに拾われよう。

 

 

だから、小手先の準備はしない。

いや、でも怖いからちょっとだけする…(小声)