【求】本性の私

ズボンの丈を短くして裸になった気になっていた

 

私はこのブログもそうだが、自分の恥ずかしい部分を晒すことができると思っていた。

 

自分の中でも、多少恥ずかしいなと感じる部分や、出すかどうか迷う部分をさらけ出すことに、一種の芸術性があると思っているし、共感が生まれることがあると思ってるし、親近感が沸くとも思っている。

 

だから、その瞬間の感情を陶酔した言葉で表現するこのブログを更新していて、失恋したことも、弄ばれたことも、上手くいかなくて落ち込んだことも、上手くいきすぎて調子に乗っていることも、クセも、文章の拙さも、そのまま表してきた。

 

ただ、これは、自分の服の袖や裾をまくるようなもので、露出度は高くなっていっても、大事なところは下着すらも見せていないほど、分厚くガードしている状態だ。

 

別に私はプロの表現者を目指してないので、全てをさらけ出さなきゃいけない訳ではないが、下着すらも見せていないのに恥ずかしいことを晒した気分になっていることが、恥ずかしいと思わないのかと自分に問いたくなったのである。

 

 

私の本性を知る人はもう、もはや誰もいない。私でさえも。

話が少し変わって、例えが変わるが、私は自分がさらけ出せる恥ずかしい部分を自分の外に自覚している。

 

感覚で言うと、

眼鏡のように、自分の一部のようで一部でないもののような。

たまごっちのように、自分で別端末の自分を育てているような。

(この感覚がどれほど伝わったかは定かではないが、それも自分の表現力として進める。)

 

もし人に、何か精神的攻撃をされても、この、眼鏡やたまごっちが身代わりになってくれる。その場合、攻撃は本来の自分には当たらない。そうすることで、本来の自分を守ってきた。

それをずっとやってきている。

多分自分がこうやって物事をあれこれ自覚できるようになるよりも前のだいぶ幼い頃から。

 

そうして私は本当の自分を見失った。

眼鏡やたまごっちが本体になったけど、攻撃はどこにいるか分からない自分の身代わりだから食らわない。怪物になってしまった。

 

こんなふうになってしまったのは、大して心を開いてなかった友人から、本音で話してよって言われて、「本当の自分のフリ」をし始めた頃からだったかなぁ…。

 

~~~

 

きっと、もし本性が見つかったとしても、ちっさいイモムシみたいな本性なんだろうな。

本性の中には食った葉っぱくらいしか詰まってなくて、弱くて、気持ち悪いんだろうな。

 

でも、たまに、そんなイモムシみたいな本性に出会ってみたくなるんだよな。

このデカすぎる鎧はどんなイモムシが操縦してるんだろうって思ってしまうんだよな。

 

そして、きっと、この鎧を突破してイモムシを知覚させてくれる誰かを、鎧を日に日に強化させながら待っているんだよな。

自分も会ったことないから居るかどうかも大きさも分からないし、そのイモムシがもう死んでしまって中には何もなくなっているかもしれないけど。

 

多分。おそらく。メイビー。パーハプス。

あっさりしてきたLINEのはなし。

大学一年のときから片思いしてた先輩の誕生日。

私は22:12にLINEした。

「先輩おたおめです!」

先輩からありがとう!ってきた。

スタンプで返した。

先輩からもスタンプがきた。

それで会話が終わった。

 

今までの私ならありえないほど早く会話が終わった。

続けようと思えばできたけど、しなかった。

元気だけで人の扉をぶち壊してきた私がもう存在しないことに気付いた。

 

あの頃の自分のことが好きだったのに、もういなくなってしまった。

大人らしくなったのか、大人しくなったのか。

ただ、私は大人になりたくなかった。ずっと元気な赤ちゃんでいたかった。

 

まだかろうじて残ってる純粋な心だけは絶対に失くさないでいたいけど、ベルトコンベアーのように自分の意に関わらず大人になるイベントが次々と私に起こる。

 

やだやだと逆走したりして先延ばしにしようと足掻いてみるけど、決まっているイベントから逃げることはできない。

 

この中でもまだ足掻きながらゆっくり大人になっていきたい

自称音楽好きと飲みをした話

先日、(自称)音楽好きの男2女2プラス私で公園飲みをした。

このご時世にこんなことをするなんて本当によろしくないとは思ったが、

最近家から全然出てないことで少し気分の波がなくなっていたから、気分転換に参加した。

 

結果的に、私は波がない人生より不快であっても波があるほうが好きだということがわかった。こうやって文章をかけるくらいの不快さがちょうどいいのだと思う。

まぁ、愉快に越したことはないのだが。

 

不快になった事の発端は、恋人に求めるものは何かという話を各々が発表していった時だった。

※私以外はオシャレ(だと思ってる)星人で、自分のセンスがこの世の最高峰だと思っている。

 

私以外の人たちは、自分のオシャレやセンス以下だと思う人は嫌だという話で盛り上がっていた。

 

彼らに悪気はなく、そして私のことを暗示している素振りをしているわけでもなかったが、私は相当不快に思った。

 

なぜかというと、私は、「オシャレになりたくない星人」だからだ。

ブランドだけ一丁前な寝巻きみたいなダボダボな格好とか、赤ちゃんが描いたのかと思うような絵がプリントされたTシャツとかを可愛いとかオシャレとか言う価値観をこの世の価値観として語らないでほしいし、その軸で生きていない人をダサイとか言われたくないし、

なによりも、「身の程を知らずに、似合っていない服を着ている人は嫌い」っていう価値観を自分のことは棚に上げて発言するのがとても嫌だ。

 

私は、自分がセンスの最高峰だと信じて疑わない態度は嫌だ。上とか下とか話すことが恥ずかしいと思う。そんな恥ずかしい価値観を露呈するのはダサイと思っている。

まず人の個性にマイナスな発言を言いたくない。(彼らを否定している時点で矛盾しているのだが。)

 

 

 

でも、彼らにとっては、主観を発表したら、たまたま私以外の人の主観と共通して盛り上がっているだけであって、そこに私が否定していい論点はない。

 

もはや、正義と正義のぶつかり合いだ。だからこそモヤモヤするのだ。

 

Sleeping Girls の DEER という曲の、

あからさまに君は俺にヘイトを向けるけど

まあ月と太陽みたいなもんでさ

真逆な物程結構似てたりしてさ

俺も君もあんま変わんないんだよね

まあ相当嫌なんだけどね

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って歌詞がすごく突き刺さる。

あいつらは音楽に深い浅いとか言ってるけど大分のアーティストだからこの人たちのこと知らないだろ。フンッ。笑

 

アーティストに深いとかないし、好きなもんが好きな私カッケーだろ。

おめーらにはわかんねぇだろうけどな

(特大ブーメラン)

 

あたしは違う世界で大人しく楽しんでいくんで、せいぜいお幸せに。

 

私があなたがたを温かい目でたしなめられるようになったらまた会いましょうや。

 

てんきゅ。しーゆれいたー。

手帳開くと、もう、1年経つなぁって。

一番に付き合っていた人と交際関係を解消して1年が経った。

彼は別れても割と話してくれるほうで、

私が就活で悩んだ時や、私の誕生日の時などに返信をくれた。

Twitterもまだつながっていて、たまにするよくわからないエアリプ風のツイートや、毎日のようにする推しアイドルのリツイートによって生存確認ができている。

 

日々生存を確認しているからか、就活の進捗が停滞しているからか、ご時世的に今年が異様に不甲斐ないからか、その他さまざまな要因が考えられるが、

時の経過が早い。

彼と別れてから1年も経つことに驚きを隠せない。

気持ち的にはまだ別れて半年くらいの気分だ。

 

生存自体は確認していても、近況は知らないから、

何か変わったことはないだろうかなんて思いを馳せる。

 

1年で彼は何か変わっただろうか。

1年で私は何が変わっただろうか。

 

私は彼と会わなくなってから、外に出る予定が減り、

土日の使い方が下手になった。

夜も22時頃から通話していたのに、今は何もすることがなくなり、

夜を超えるのが下手になった。

 

その代わりに、少しだけ、1人が当たり前になった。

誰かのアポイントを取らなくても、出かけるように...

出かけないか。

まあ、ライブに行ったり、洋服を買いにショッピングモールに行くようになった。

これはすこし成長した部分のように感じている。

 

でも、人といるのも楽しいという感覚だけは

どれほどずっと、1人いようとも、

捨てないでいたい。

 

捨てないようにしたいつながりで言うと、

彼が結婚など幸せな充実した時を過ごすことに

焦らず心から祝福できる、

あたたかい心と余裕も捨てないでいたい。

 

あとは、彼との思い出も

捨てないでいたい。

 

THANK YOU 元カレ

HAPPY BIRTHDAY 元カレ

 

 

断られ続ける日々

最近ひどく落ち込むことがあり、

それから1週間近く回復できていない。

 

向こうから会おうと言ってわざわざスケジューリングした約束が3件(1件は当日数時間前)キャンセルになった。

不採用通知も続々と来た。

中学生くらいからつるんでる腐れ縁のようなやつの手伝いをしたらその人から私が傷つくような嫌なことを2日に分けて言われて、またひどく落ち込んだ。

 

最近は趣味が楽しくなくなってきてて、

ご飯も美味しくなくなってきてる。

大好きだったはずの音楽は煩くて不快に感じる。

人と会話しても相手のエネルギーとのギャップで自分が惨めな気持ちになる。

眠気も酷くて、何に対してもやる気がでない。

体も表情筋もまともに動かなくなってしまって、何をするにも疲れる。

寝付き悪いし、起きても無気力。

 

企業でアルバイトでは、先日、眠くて眠くて全く集中できず、ミスばかりで使い物にならなくなってしまった。今までで一番酷かった。

挙げ句には、ここで就職もできないのに、こんなバイト、なんの役にも立たねぇな。なんて思ってしまった。

 

オンライン授業受けなきゃなのに、説明会参加しなきゃなのに、今日は食べ物を口に詰め込むことと携帯いじること以外なにもできなかった。

 

その近況の一部を大学の友人にLINEした。

彼女からは鬱病かもしれないといわれた。

 

病院での受診を勧められ、近所の病院に電話したが、予約は7/19以降からしか取れなかった。

病院からも断られたことでまた落ち込んだ。

 

いつまで私は断られ続けるのだろうか。

鬱とも鬱ではないとも診断してくれないまま、明日もバイトして、これからも説明会を受けなきゃいけないし、選考でも友人関係でも断られ続けなきゃいけないのか。

 

癒しだったものが響かなくなった今、私を癒してくれるものはない。

 

いっそこのまま消えてしまいたいほどに

いや、そこまでではないけど、

ここからは逃げ出したいくらいには

鬱。

 

これは憂鬱?それとも鬱?

面接が楽しかった話

今、内定は0、第一段の申し込んだ企業から不採用通知が続き、残り1社となった。今回の面接で最終面接で、今できる進んでいるものは全て終わった。

 

終わったといっても内定0なのでこれから、また、第二段、第三段と、会社見つけて説明会に参加して面接してを繰り返さなくてはならない。

 

今回は、そんな、第一段のラストの最終面接についての話である。

 

R社は、対面合同説明会ブース→オンライン説明会→オン一時面接→オン面談→オン二次面接→オン面談→対面面談→対面最終面接→対面面談。

といった流れだった。

 

事あるごとに面談を挟んでくれる。しかも担当の方はずっと同じ人。就職サポーターのようにずっと寄り添ってくれる。

 

昨日も別室で30分、最終面接の前に緊張を解きほぐすためにお水をいただき、面接の練習や雑談に付き合ってくれた。面接終わってからも、どうだった?言いたいこと言えた?って面接終わった私を迎えにきて控え室で少しお話してくれた。

 

一次面接からずっと、幼稚園の先生のように、5才児のパパのように、丁寧に、丁寧に扱ってくれた。

 

毎回、緊張を解きほぐす、柔らかくて力強くて、優しい暖かい空気に変える能力は、私も身に付けたい力だ。

 

そして最終面接。

そこまで至れり尽くせりで出てくる人は相当厳しい人かとおもっていたが、

とても「素敵」という言葉が似合うような、ギラギラしたイケイケなおじさまだった。

 

和やかに話を聞いてくださって、マナーを忘れてしまうほどだった。フランクで笑顔で仕事に対して情熱的で、なによりも私と対等だった。

居酒屋で私の話を聞いてもらってるみたいな感覚だった。すごい人でオーラからもそれは伝わってきているのに、私の考え方ややってきたことを純粋に楽しんで聞いてくれていて、本気で「熱」のみで採用しているんだとおもった。これで落とされたらよくわかんないけど。楽しいだけってことか。

 

でも、この会社を受けてよかったと思うし、もし不採用だとしても、有意義な時間だったと思える。

それほどに素敵な人たちで、夢を見ることができた。

 

こんな大人になりたい。素直に思った。

そんな人と働きたい。内容は自分にとって魅力ではないけれども。それでも言いなって思えるほど。

 

だから、受かっててほしいなぁ……

 

 

 

 

 

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後日談。

しっかり不採用通知が来た。しかも郵送で。

CONCEPT LIFEを読んで

約一年間働いているバイト先から、最終面接の前の「常識力テスト」をきっかけに不採用通知が届いた。

仲良くしてくれているそのバイト先の上司のワタナベさん(仮)に報告したら、長文での励ましのお言葉と一緒にこの本をおすすめされた。

 

内容は私みたいな強めなタイプの人がおばさんになるまでのキラキラした労働人生といった感じだった。

説教じみた諭しみたいなものがあらゆる場面にちりばめられていたけれど、そのどれもが自分の中に持っている価値観で、どれも真新しくて参考になると思うような特別な言葉ではなかった。

もちろん、どの言葉も素敵で、大切にすべきで、実行することは難しいけどできないことではなくて、実際に私が心がけてることもたくさんあった。しかし、今の私が全部を実行できているかと問われれば、「やらなきゃいけないのはわかってるんだけどねぇ」といってしまうようなものもあった。

 

でも、私はこの本を読むことが大切なのではないと思っている。

ワタナベさんから私に対してこの本を薦めたこと自体が価値のあるものだと思う。

つまりCONCEPT LIFEというこの本自体が、ワタナベさんからの長文のメッセージだ。

 

この本で、私が今できていないことを指摘されたのではなく、できていることを肯定されたのでもなく、ワタナベさんは「この気持ちを大切にしていきたいわよね」という、気持ちを表しているような気がする。(※語尾の「わよね」というのは、いきたいという強いものではなく、いきたいわ。と本人が意識している部分と、よね?と私の中にも共感できる部分があると信じていることを合わせた口調であり、言いそうだからという意味ではない)

 

私自身は他の人(特に同世代の日本人)と共通する部分があまり多くはないと感じているし、その共通しない部分に私なりの自信を持っている。

その価値観と似たものをワタナベさんも持っていて、私たちは、周りがどういうことを考えるか、こんな人はこんな風に考えるのだろうという感覚にも敏感でありながら、そのなかで自分はこのように考える・考えたい、という感覚や考え方を明確に持っているのだとおもう。

 

だからこそ、ワタナベさんはこのような本を私に薦めてくれたのだと思うし、共感し、私が何かを考え、就活にとってワタナベさんの考える道を本を通して明確に伝えることができるだろうと思ってくれたのだとおもう。

 

この本とワタナベさんがいつ出会ったのかはわからないが、この本の作者の柴田さんと私に重なる部分を感じてくれたように思える。本を読んで、この人と考え方が似てるなあ、目指している姿がなんとなく同じような感じだなあ、このブログでの話し方も似てるもんなあ(このブログをワタナベさんは知らないが)。などと、漠然と思ったこともあるが、なによりも、私はこの本を読む前に、ワタナベさんとお昼休憩で雑談をしているときに、「道をおいしそうだと思った飲食店で覚える」という話をしていた。柴田さんも飲食店が印象に残るといった話をしていたため、具体的にも重なっていると思う。

 

意見の合う友達から、仲の良い友達を紹介してもらったような、お母さんのお母さんと会ったみたいな感覚になった。

自分より強くて尊敬するお母さんが尊敬するお母さんだから、私にとっても尊敬できる部分があるよね。みたいな。

私の今の考え方は21歳なりの荒い若さみたいなものはもちろん山ほどあって、たぶんワタナベさんからしたら指摘したくなるもどかしい部分しかないほどたくさんあるだろうけど、根源の部分では悪くないとおもってくれてたりもするのかな、と思う。

 

また、私は自分でも気づいているが、腰が重い。起動力はテンションで、行きたい道や必要性、そのときの気分という条件がそろわないと細かい努力を突き進むことができない。逆に条件が揃えばどこまででも極端に行動することができる。だれだって腰は重いものだろうから普遍的なものではあるとはおもう。きっと、そんな私のやる気スイッチをワタナベさんは押そうとしてくれたのではないかとも思う。

 

 

本自体よりも、そのワタナベさんの気持ち。ただの5か月前に出会ったバイトでしかない私に対する誠心誠意の向き合い方。ビジネスだけではない、私のこと、私の人生をより私の納得する物にするために支援してくれようとしている姿勢。

そんなものに私は深く心を動かされた。

 

今日が私の就活の始まり。ほかの人は内定をもらい、懇親会に参加している中で、私は0からのスタート。安心のために安定な企業に早期に落ち着くより、焦りながら、泥臭く、ダサい私でぎりぎりまで奮闘するほうが私らしい。そして、そのダサい恥ずかしい未熟な私をこうやって隠さずに公表していくことが一番私らしい。

最終的に納得できれば最終をどこに見出してもよい。就活でも、25歳になった時でも、労働しなくなったときでも。ただ、最終的な後悔だけはしないようにしたい。