失注から私と彼を比べてみた

今日の営業で失注した。

失注といっても検討したいとのことだが、考えさせるほど即決できなかったから失注だ。

 

私はこの原因と改善は彼と私の違いを考えることから始まると思う。

 

彼は昨日、私を良いと言ってくれた。自分のプレゼンはせず、なんなら自分の弱みを出して、一生懸命に私への想いを伝えてくれた。それに対して私は、自分の強みをアピールした。「こんなに良い私を選ばない手はないわよ」とこれ見よがしに自分の良さをプレゼンした。

お互いにゴールは同じはずなのにアプローチの方法はまるで対極。でも、お互いに意図した結果を達成することができた。だからきっとどちらが悪いとかではなくて、どちらも良かったんだとおもう。

 

彼のやり方は「強い想い」が伝わる反面、「提案に乗るメリット」はなかなか伝わらないように思う。

私のやり方はその逆で、メリットは伝わっても、なぜあなたがいいのかという強い想いは相手に伝えきれていない。

 

強い想いは決断する決め手になるが、メリットがないものはなかなか決断にも至らない。メリットがあったとしても、想いがないものだと、そのものに決めきれない理由があったり、比較検討の候補の中で決断をせまられる場合になると決め手にかける。

と、私は思う。

 

お互いの商材も売り方も違うのは、この自分達の得手不得手が引き寄せた縁だと思う。どちらの商材が売りやすいとか、どちらの売り方が売りやすいとかではなく、自分の強みを活かした売り方ができるから、お互いにその縁を繋いだのだと。

 

その中で私と彼が出会ったのには、自分達の今持ってる強みを使ってより一層飛躍するためには互いが必要だから。

 

彼のように「あなたとやりたい」が上手く伝えられる人は、受注数としては多く取ることができるだろう。さらに、人柄で受注してるから商材があまり良くなかったとしても継続率が良い。けれども、メリットがなかなか伝わらないと、その物自体の価値が伝わらないから高単価での受注は難しい。

私のように「メリット」が上手く伝えられる人は、元々意欲のある人に対しては高単価で受注できる。けれども、「あなたとやりたい」が上手く伝わらないと決めかねてる人の背中を押すことはできないし、他社で同じような商材があるからいらないとなったときに取りこぼしてしまうため、受注数の確保は難しい。さらに、思ってた商品じゃなかったとなればすぐに解約されてしまうから継続率は悪くなってしまう。

 

もし、私と彼がタッグを組んで、お互いの良さを吸収しあえば、受注数も受注単価も確保できるようになる。

 

お互いに高単価大量受注をすれば、自分がなりたかった自分への成長に近付けるし、利益としても還元されて二人でうめぇ飯も食べれる。

 

お互いのノウハウを共有するためにはお互いの課題もある。私の場合は、相手の意見を素直に実行すること、自分都合で相手にたくさん投げすぎて急かさないこと。彼は自分のノウハウを言語化すること、正解を、最善を、、とあまりに考えすぎてスピードを重視できなくなること。

 

お互いに足りないところもだが、それを供給するためのプロセスも合わせて課題がある。そこだけで全てが上手く行くとは思ってないけど、まずはこの課題の課題を克服することから一歩ずつお互いの高みへ歩んでいきたい。

頑張りたい理由ができた

彼は私とおなじ新卒の営業マン。

ふとしたきっかけで仲良くなった、元々は関わる予定のなかった人。

すごく不器用で臆病で傷付きやすくてひねくれてて感覚が鋭くて真面目で優しくて思慮深くて相手想いで頑張りやさんて甘え下手な人。

まだ知り合ってそこまで知れていないけど、今見えている印象としてはそんな感じ。

これからこの印象も変わっていくのだろうかと思うとワクワクする。

 

自分は新しいものが好きといいながら、毎回新しいものに飛び付くという一辺倒で新しくない考え方をする傾向があるのを最近感じて、彼のどちらでもない姿勢や相手についていくことも楽しめる姿勢は取り入れるべき課題。

 

あとは、彼が私と同じ課題で悩んだときに、救って上げれる人になるために強くなること。傷つくことをおそれてたら傷ついた時の対処法を習得できない。傷ついたときに彼にしてもらって嬉しかったことを彼にも再現してあげたいし、彼が明日も生きたい世界を作っていきたい。

そういう想いが原動力になって私は明日も生きたいと思えるし頑張りたいと思う。

 

そうは言っててもアポ入らないと絶望的な気分になるし、電話越しで怒鳴られたり酷い言葉言われたりすると泣けてくるから、そんなに前向きになれつづける訳ではないけれど、まあそれも癒してもらえばいいかと割りきれる余裕は持てるようになったのかな、と。

 

小鳥の羽ばたきほどの小さな風でも、少し遠い彼の住む場所で台風を巻き起こせるように、目の前の人や周りの人や顔も知らない誰かに、優しい人でありたい。

愛し愛されて八王子

Wiennersのライブに行った。

ちょっと前までは気持ちがだいぶ憂鬱で、Wiennersも他のアーティストの音楽でもライブのなかでも、耳から頭、心に響く言葉があまりなくて、何を聞いても元気が出ないタイミングがあった。

私は音楽がなんでも救ってくれると思ってたから、他に自分が何をすれば元気になるのか分からなくてまたその事に落ち込んで負のサイクルに陥った。

一度風邪を引いて、平日に自分の体調しか考えない日があって、そこでやっと、今まで無意識に張っていた糸が弛んだ感覚がして、そこからやっと音楽が響くようになった。

ライブは響かなくなった後から行ってなかったから、今回のライブが響かなかったらとか不安だった。

 

いざライブが始まる。まずは、Wiennersが海外アーティストになりきるwiemixes。

悪ぶって気だるそうなラッパーを演じてるけど、良い意味でノリきれてなくて、メンバーみんな可愛かった。ちゃんと心でキャーキャーしてる!自分!楽しめてる!

 

Wiennersが始まって、玉屋さんが歌う歌詞の中で自分がほしい言葉だけすごく心にフラッシュビームのようにキラキラしたものが何回も突き刺さる。玉屋さんがライブ中何回も私にファンサしてくれるから私を見てくれてるのもちゃんと伝わって嬉しかった。

手で作るピストルで私を撃ち抜いたり、微笑んでくれたり、歌詞の「あなた」に合わせて私を指してくれたり、そこらのアイドルよりもファンサが多いとおもう。

私だけでこれ以上にたくさんもらってるのだから、これをみんなにあげてるとなると、もうほぼ握手会レベルで一人一人にファンサしてる。

KOTORIが出演出来なくなってしまったけど、素晴らしい世界をWiennersが演奏したり、KOTORIを何回も連呼してたり、wiemixesが見れたりしたから、ワンマンになってよかったなんて不謹慎なことを思ってしまったりする。

今日は玉屋さんの語りもちゃんと響いて愛を持って与える人になりたいとモチベーションを再確認できた。

 

その後いつものファン友達と話して新しく友達の友達も紹介してくれてみんなで話して写真撮って飲みに行くことになった。

さらに八王子住みの超能力戦士ドリアンのファン友達がわざわざ会いに来てくれて、数分仕事の辛さとライブが楽しかった話を聞いてくれて、ドリアンのライブも行きたくなったし、そういえばドリアンにも帰れるコミュニティがあったんだと思い出すことができた。

少し話して飲み会に戻る。みんな思い思いに推し愛を語ってすごく楽しくてみんな個性的で優しくて平和を守るWiennersのファンだなぁってすごく嬉しくなった。ウインナーに戻ってこれたんだなぁって思った。

居酒屋を出て駅でダラダラと締めの挨拶をしてるとサエちゃんと玉屋さんが駅に向かって歩いてく。みんなで手をふると「ありがとう~」と友達みたいに気楽に話してくれた。

少しして別れて電車のホーム行くと玉屋さんとサエちゃんとマネージャーのかとうさんがいて、友達が玉屋さんとサエちゃんに写真いいですかって聞いてくれて、二人と私でとってくれた。私が5人でもいいですかと言うと快くいいよって言ってくれて友達2人と5人で撮ってくれた。玉屋さんの言葉にいつも救われてますって言うと、「そういう言葉たくさん言えるように頑張るわ」って言ってくれた。夢のようでこれが現実と確信をもててないけど、写真と友達がそれを証明してくれる。

友達と少し離れた車両に乗り込んで軽く話す。好きしかなくてすごくすごく幸せが溢れた。去年の私が一人に勇気を出して声をかけたところから始まった大きな居場所。友達への感謝と勇気を出したその頃の自分にGJ(グッジョブ)。

苦しみを救ってくれるのは誰かだけど、誰かが私のことを救ってくれるのは、過去の自分の勇気と誠実さと努力とその他諸々の良い行い。

 

未来の自分もちゃんともらって与えられるように今に愛を持って生きたい。と思えた。

この前ナンパされた人が同じところで声かけてきた

渋谷で歩いてたら声をかけられた。

小さな音で音楽を聴いていたからちらっと見てすぐ聞こえないふりをした。

顔を見てみたら、私の誕生日にナンパしてきた人だった。

同じようなところで声をかけてきた彼は、きっと私のことを忘れてる。

1ヶ月以上前だから無理もない。

逆に1ヶ月声をかけ続けてるのかと思うと彼は満たされることはあるのだろうかと勝手に可哀想に思えてくる。

きっと、顔はそこそこだから数人は引っ掻けて吐き出すものだけ吐き出しているのだと思う。

彼は満たされたいのに取り込むどころか放出しようとしている。

私が満たしてあげることは出来ないのだけれど、通りすがる時の哀しそうな目は心がざわっとしてしまう。

そこまでもが計算なのかもしれないが。

イト

"イト"と"イト"が重なりあい

終盤に差し掛かったジェンガのように

不規則に積み上げられた互いのイトを

一つ一つ取り除いていく。

儚く脆く繊細かつ滑稽なその様は

芸術とさえ錯覚する。

 

ただそれが楽しくて、

1秒でも長く、せめてもう少しだけは崩れないでいてほしいと願っているのに、

一番ぐらつく部分に手を伸ばしてしまう。

 

どうにか保ってるそのイトが

絡まってしまったら良いのにと思う反面、

私たちはハサミも持ってて

簡単に切れてしまうものだから

だからこそ絡まらないように、

慎重に慎重に織りあわせてく。

 

その人は80℃のお湯。

美味しいお濃茶を作るにはぴったりの人だから、

風味も味も落とさず甘くて苦くて美味しいお濃茶が作れそう。

80℃を維持する気苦労に少し心配になってしまうけど、だからこそ美味しいお濃茶が飲める。

維持できるだけ維持してもらおうとか思ってる私は、どこまでも強欲で自分主義。

 

美味しいお濃茶できたら、飲み差しで君にも分けてあげるよ

 

苦くて顔が歪んでも。

 

 

 

生まれてから月日が経った

BUMP OF CHICKENの魔法の料理が聴きたくなった。

 

昔と違う歌詞で共感したし、あの頃分からなかった歌詞が今の私には響いた。

あの頃の解釈とは違う歌詞の解釈をするようになった。

 

同時に、あの頃見てた希望や元気と今の生活が少しかけ離れてきていることにも気付いた。

 

書いてきたブログを読み返した。

くだらねぇことばっか言ってんなぁと思いながら、今の私より泥臭くて真っ直ぐ単純でカッコいいなぁとも思った。

 

最近は目の前の動作に精一杯すぎて、夢だの愛だの忘れていたし、自分が「働いている」ということも見失っていた。

 

大切なものを大切にし続けることは簡単なことではなくて、当たり前のことでも一つ一つを改めて認識しないと忘れてしまう。

いつだって忘れてるものは目新しい私の知らなかった考え方ではなくて、何回も忘れては何回も思い出してきたもの。

 

分かってるのに忘れてしまうなら、何回でも思い出すしかない。

 

忘れてることすらも忘れてしまわないように、大切なことができてない気がするというセンサーは常に敏感に持っていたい。

シャンゼリゼ

一人で帰る金曜日。

会社の人はみんな誰かと飲みに行く。

予約の時間まで会社でわざとらしく待つ人、あからさまに団体でそそくさと帰る人、

そんな中で私は一人で会社を出る。

 

今日はずっとアポが入らなくて、しかもかけ先が渋いところが多くて、知らんおじさんに怒鳴られて怒られてで泣き泣きの1日だったが、最後の最後、めっちゃ意欲的なおじさんに当たれて商材を面白そうと言われてアポが入って、めっちゃ嬉しかった。

いい気持ちで仕事を終えられて、1日の気持ちがジェットコースターみたいで心がなんかよく分からなくなる。泣き泣きで元気がでなかったら直帰睡眠コースだけど、アポ入ったからちょっと活力が沸いてきて、ご飯でも行きたいなぁと思ってきたりもする。

 

さらに、周りが楽しんでるポーズを取ってると、なんか負けたくない。LINEを開く。

「今日空いてる?」

まぁ、そんな声も虚しく。

(無理に呼べば来てくれそうな人は何人かいたけど申し訳無さが勝つからなかなか呼べない)

 

そのまま帰りたくなくて、メイクを直して一人でネオン街を練り歩く。

良さそうなお店でご飯とお酒を飲んで、二件目を探すために気持ちよくお散歩。

探せば探すほど見つからないのが性で、最寄り駅までついてしまう。

 

最寄り駅に扉が3センチ程度空いた1件のbar。オープンと看板はついてて、客はいなさそうだが、お店の人がどんな人かは見えない。

イケメンバーテンとかだったらやだなぁとか色々思い巡らしていたけど、ええいと入ってみると、すごく一般的なおじさん。

bar行ったことない感を全面に出しておすすめをいただく。そのあと店員さんと話しやすくする私なりのテクニック。

功を奏し、おじさんとダラダラと話すことが出来た。

途中で清竜人のようなダンディでおしゃれなお兄さんが入ってくる。常連さんのようで、店員さんと仲良く話してる。私も店員さんと仲良くなったからそのお兄さんとも少しずつ話せた。トントン拍子だ。

そこにお姉さん2人がやってきて、みんなでお話した。みんな私を若い可愛いともてはやしてくれるし、酒の席に集まる人はやっぱり面白い人たちで話が上手いし関係性を作るのも上手い。大人であればあるほど。

閉店の時間になり、連絡先を交換するわけでもなく、「またここのbarで。」と解散する。最寄りだから終電も気にしなくていいのが良い。みんなが私の居場所を作ってくれてるみたいで、私も私の居場所を作っていて、そこが奇跡的で再現の確率が不安定だからこそ愛しい。

儚い関係は脆い反面、さらに素敵な出会いの可能性もあるのが魅力。

自分が変わりゆくのだから、変わらないものなんてそんなになくったっていい。

その時の自分が関わりたいと思った人がその時の縁なのだから、切れたらそれはそれだし、繋がりたかったら繋げばいい。

 

それほどまで今回の縁は楽しかった。同時に、楽しかったことを報告できる人がいることも私の居場所。よかったねって言ってくれて、話を聞いてくれる人がいるから、一人の家に帰ってきても、一人じゃない。そんな人との縁も始まりはよく分からない儚い縁で、それが今は大きな支えになってる。

縁が薄れてしまうタイミングなんていつもいつでも覚悟しているけど、今は繋がってる線をありがたく使わせてもらう。