望みと好み

YouTubeで配信ライブをした。

友達がサプライズで配信してたカラオケ館に来た。

去年の私の誕生日はそんなに仲良くない友達の失恋を慰めるくらい自分の誕生日をぞんざいに扱っていた。今までなら誕生日に自分のやりたいことを一人でやろうと思わなかったし、友達が配信後に来ることに対してもそんなに気にしなかったと思うけど、本当はどう過ごしたいかを考え、(結果はどうであれ)自分の願望を相手に伝えることができた。

 

やついフェスに行った。

感情が動いたり動かなかったりして、周りを気にせず泣いたり笑ったりできた。

前回行ったときは感情が全く動かなくなってしまって、何も受け取れなくて、周りは楽しんでいるのに受け取れない自分が許せなくなってしまった。でも今回は楽しめるものは素直に楽しみ、楽しめず動かなかった感情は動かないものとして受け入れることができた。

 

大学生の時に付き合ってた人と会った。

今までたくさんお世話になってきて、凄く有難かった。でも、最近の私に話すことがないし、彼も話しかけてくれる人ではないから話すことがなくなってしまってしんどくなってしまった。興味を持っても彼が先に足を進めてしまってついていくだけでやりたいこともできず見たいものも見れなかった。会話がないのが気まずくて、公開したくもない最近の近況を公開することでしか間をつなぐことができなかった。今までは自分に話すことがずっとあったから聞いてもらうだけで成り立っていて、欲望がないからついていくだけでよかったのだろうなとおもった。

 

自分が今何をしたいのか、今何を食べたいか、今何を考えたいか、何が好きか、なんで好きか、どんなところが居心地がいいか、、、

自分を尊重してあげたくなってきているし、他人を好きになるのではなく、その人と関わる自分が在りたい自分で居れているかを探すようになった。

 

母とモスバーガーに行ったとき、私の考え方は生きにくいから私の逆の価値観を持っている人と結婚しなきゃと思っていると話した。母は、自分の信念を曲げてまで、生きることを続けようとする意味はないのではないか?と言ってくれた。

生きるを続けることを心配する母がその言葉を言えるのは本当にすごいとおもう。でもだからきっと、私は、「事を荒立てず生きるを続けようとする」というフェーズから「今を生きる」に変わってきた、そういう時期、お年頃なのだと思う。