服についての記事を読んで

この記事を書いた背景

服についての個人の考えが書かれている読み物を読んだ。

 

批判や対抗をしたいわけでも、その読み物の著者に読んでほしいわけでもない。

ただ、その人なりの意見を読んだとき、考えさせられるものがあった。それだけだ。

そのため、「服」というテーマをお借りして、私も服に対する持論をを話していきたい。以下話すことはその人の話題とは違った切り口で見る「服」についてだ。

 

自分を表すということ

自分の服への価値観は結構あるほうだが、言葉にしたことがなかった。

自分なりの意見を誰かに向かって言うことは、さまざまなリスクや面倒さがあるからだ。

ブログのように、一人で語ることは、誰からも遮られることもなければ、相手の価値観をあたかも自分の価値観のように振る舞い共感する必要もないため、とても都合が良い。

 

 

服を着る基準

私には相手に見せるために服を着ているときと、自分のために服を着ている時がある。

私は二つの側面が関係すると考えている。

量産型な誰かになりきる側面 と、私自身の個性を尊重する側面 だ。

 

 

■量産型な誰かになるとき

女子向けと男子向けがある。

相手への印象を気にしているときに量産型女子になりきる。

 

 

  • 女子向け

前記にある通り、私は相手への共感を全身全霊で表す。

女子には様々なタイプが存在する。私はある程度偏りなく仲良くしていきたいと感じている。そして、その人たちに仲間意識を感じてもらいたいと思っている。

 

イマドキな女の子と会うときは、女子受けの良い服かつ、相手の系統と似た系統で比較的可愛いよそ行きの服を選ぶ。

この系統の女子はすぐに写真を撮る。服装の系統を合わせ、統一感を出すことで「仲良し感」を演出する。【膝丈スカート】

 

プライドが高い女の子と会うときは、カジュアルでダサすぎず目立ちすぎず、色味を抑えたそれとない服にワンポイントでダサ可愛いものを身につける。相手の服の系統とは違う系統を選ぶ。

この系統の女子は、自分と相手を比べ、見下したい願望がある。しかし無頓着すぎると戦う気持ちすらなくなり、眼中に入らなくなる。また、同じ系統よりも違う系統のほうが、無駄な争いを起こさなくて済む。【ロングスカート】

 

仲良しを押し出したい女の子と会うときは、ラーメンのスープで汚れても良いような、力が抜けた無地の服(わざわざ購入する)や、普通な人の前では着れない個性的な服を選ぶ。

この系統の女子は、なぜか「私女じゃないから~」と言うと喜ぶ。なにも気にしていない素の自分を演出することで、相手に絶対的な安心感を抱いているのだという表現をすることができ、親密な仲を演出できる。【デニムズボン】

 

 

服から受ける印象は偏見となってこびりつくし、相手へのメッセージを表現できるため、めんどくさい女子という荒波を越えていくためにはこのような服の選び方を武器として持っておくと便利だ。

 

 

  • 男子向け

男は単純だ。色合いが淡い服を着ているだけで優しいイメージを抱き、

露出の多い服を着ているだけでチャラチャラした遊んでそうなイメージを抱き、

濃い色の服を着ているだけで気が強そうなイメージを抱き、

カジュアルなパーカーに落ち着いたロングスカートでスニーカー履いていれば話しやすそうな手軽なイメージを抱く。

 

私は、相手の好み、相手にどう見られたいかや相手とどんな関係になりたいかを考えた服を着ることで相手との距離感を調整することができると考えている。

 

 

■自分の個性を尊重する

一人で出かける時などは周りに流されない派手な服や、コスプレかと思うようなロリータやゴスロリの服などを着る。

 

「誰にも合わせない」という「自分への合わせかた」は少し矛盾していて幼稚でありきたりだ。自分でも自分作りに必死になる自分に笑けてくる。

 

でもこんなことがアイデンティティーを幼稚な自分に証明してあげるためには大切で、これがないと自分が埋もれて見えなくなってしまう。

 

音楽の趣味も同様だ。

 

いじらしいこれらの拘りは、自分を客観視したときに必死になってて可愛いなあとおもう。

 

私は今の私を変えたいと思わないし、変えるつもりもない。だれかに感化され影響され、自分が変わりたいと思う日までは、こんな自分を楽しんでいきたいと思ってる。

 

何が言いたいかというと、結局自分が大好きで、こんなひねくれた考え方も全て含めて、自分を愛しているということだ。

 

ちょっと苦手な叔父さんの話

情けは自分に返ってくるから人のためじゃない

 

正月の親戚の集まりで叔父さんに言われた。

情けをかける大切さは実感し行動しているが、この言葉に違和感を覚えた。

 

返ってくるから優しくするわけではない。

私はやりたくて優しくしてるのだ。

 

恩を売ることは気持ちが良い。

貧しい人に自分は与えるほど豊かなのだと見せつけることができて、優越感に浸れる。

優しい行為をした自分のことを誇らしく思える。自信がつく。好きになれる。

相手も喜んでくれる。救われてくれる。

そしてなによりも、お互いが笑顔になれる。

 

別に恩それ自体にそれ以上のことは望まない。返ってきてくれるもんなら返してほしいとは思うが。

 

そして、私は返ってくるから恩を売るという考え方を低次元だと思っている。

これはただ私の価値観であって、相手を見下しているとか見下したいとかではない。ただ私はその判断軸にはもういない。

その事自体を自分自身が否定も肯定もしない。悪いことでも良いことでもない。価値観なだけ。

 

 

他人の話を聞くなかで、自分が感じた違和感を細分化し、分析し、言語化することで自己理解を深めていく。

これからもそんな自分を大切にしていきたい。

一年を振り替えって

今年をまとめると。

今年一年は「雑多」だった。

どこにも誰にも身を置くことなく、様々な人と様々なことをした。

 

とてもいい時間の過ごし方だと思う。

ウイルスという大きな障壁はあったものの、

あったからこその楽しみ方もできたし、

それがキッカケになって新しいことをする

チャンスがもらえたと思う。

 

 

過去の自分と人々に感謝。

チャンスをつかませてくれたのはいつも過去の自分とそのときお世話になった誰かのおかげ。

 

過去の自分。

今こんなにポジティブな感想が出るのは

過去の自分が何でも楽しんでくれたから。

本当にありがとう。

 

そして、私を彩ってくれたたくさんの人々。

一人残らずいい人で、たくさんの感情をもたらしてくれた。とてもとても尊敬してる。本当にありがとう。

 

 

今年のハイライト

大きな思い出の中の一つは、

今年の夏に私から身勝手に別れを切り出したと思えば、冬に栃木での自分の予定終わりで急に電話し、寒空のもとに呼び出し、別の男についてを話しながらマッサージをし、夜遅くまで付き合わせたにもかかわらず、文句一つ言わなかった上に、ちゃんとマッサージ代としてガソリン入れてくれ、帰りは運転中に寝ないように自分が家についても起きててくれた元カレのこと。

ありえないほどすごくいい人で、節々尊敬してるし、好きな人の中の一人だと改めて実感した。(付き合うとかではない意味の。笑)

 

他にも、中・高の友だちも、今年新しく仲良くなった人たちとの出会いも、一つ一つがとても良い思い出で、全部ハイライトで、登場人物みんな好きになることができた。

 

 

 

これからの抱負

これからも、大好きな人たちにたくさん頼って、もっともっとお世話になっていきたい。

たまに貰いすぎた恩の一部を返していきたい。でも、借りがあったほうが返すために関係を続けられるから、借りた中の全部は返さないでいきたいw。(元カレから学んだ)

 

 

多人感謝

最後に、

いつもこのブログを読んでくれてる人たち(PV100突破ありがとうございます)、毎回スターくれる人、そして、私の心を豊かにしてくれる全部の世界の人たち(死人も含む)、

本当にありがとうございます!

 

私の世界もあなたの世界も誰かの世界も、

全世界を救うために、

先ずは自分が、「たくさん経験し、たくさん考え、感情、言葉を見つけ、もがき苦しむ」ことを

これからも楽しんでいきます!

 

来年もよろしくおねがいします!

 

 

 

優しくなれない

私が私でなくなったとき

優しくなれない。

 

私が誰かに優しくされなかったとき

優しくなれない。

 

私が誰かに優しくされたいとき

優しくなれない。

 

私が誰かを優しくしなきゃと思うとき

優しくなれない。

 

私が私に

優しくなれない。

 

優しくない心で優しくするとき

優しくなれない。

 

なんとなく

優しくなれない。

 

そんなときに限って

優しくなれない。

 

こんな気持ちで

優しくなれない。

 

サンタさんは来なかったし

私はやっぱり悪い子なのかな

優しく出来たら来てくれるかな

私には無理かな

 

私の私にしかない私の部分を

空っぽになりそうな私の部分を

私が大好きな私の部分を

今誰かに認められたい

 

早く冬が終わればいいのに。

 

 

今年の私のクリスマスソング

苦いビールと切ない恋の歌が

私の心を潤わす

潤いすぎた体の水分が

瞳から頬へとつたう

 

あなたは優しい人だから

きっと振ってもくれない

それが一番残酷なことに

きっと気付いてないでしょう

 

あなたの生活に私が入る隙がないのは

気づいてた

私の生活に「あなたが好き」しかないのは

気付いてた?

 

あなたと見た景色は

イルミネーションよりも輝いていた

でもきっとあなたが見た景色は

私と違っていたんだね

 

デートなんていらない

どっちが大事なんて聞かない

愛してなんて言わないから

あなたと微笑み合いたかった

 

それも叶わないから

今はせめて

あなたの好きな曲を

好きでいさせて…

 

失恋はビールの味

今日のハイネケンはいつもより苦くて

いつもよりっていうか、

まともにビールを飲んだことないけど、

すごくすごく苦くて

美味しかった。

 

 

彼を見つけるのにそんなに時間はいらなかった。

動きも服装も分かりやすいからすぐに分かった。

彼は手を伸ばせば届く距離にいた。

彼に声をかけたかった。

でも彼に声をかけなかった。

 

彼も私に声をかけなかった。

絶対に私に気づいていた。

お互いに気づいていたけど目を合わせなかった

いや、正確には彼は私に目を合わせてくれなかった。

私はずっと彼を見てた。

気づかないフリをされた。本当に気がつかなかったのかもしれない。でも、気づこうとしなかったことは間違いない。

 

彼は他の友だちがいた。他の人と楽しそうに話していた。

 

 

そんな悲しい夜でも

音楽は私を癒した。

 

私が初めて音楽ライブを味わった場所で

初めて見た人が、あの頃の曲を歌う。

 

一番好きな目当てのアーティストは

いつも通り、否、いつもよりすごく優しくて、想像を遥かに越してなだめてくれた。

私に微笑んでくれた。

私の望む笑顔で歌ってくれた。

 

 

失恋を経験した当の彼が好きなバンドは

私のためだけのセトリかと思うほど、

私がTwitterで呟いたものや、

今までこの日のライブのためにコツコツ聞いてきたたくさんの中でも特に私が好きな曲を私の目の前で披露してくれた。

前は曲がわからなくて

ノれなくて汗もかかなかったけど、

今回はすごくすごく楽しくて、

熱くなるほど踊り狂うことができた。

好きになった瞬間に、でも、このまま沼にハマると、彼は必ずこのアーティストのライブにいるため、必ず顔を合わせる苦しさを味わうことになる。

 

 

ラーメンでも食べて帰ろうかとおもったけど、このモヤモヤした甘酸っぱ苦くて辛いこの感情を大切にしておきたくて、まっすぐ自分の家までの電車に揺られている。

 

駅まで歩く道中、「あ~この感情はブログ行きだな~」なんて泣きながら呑気に思っていた。

 

お酒を飲んで、テキトーに繋がる男などに電話をかけて、失恋を慰めてもらって楽になりたい気持ちはある。

が、きっと家に帰っても、お酒は飲まず、

ちゃんとお風呂に入ると思う。おそらく。

 

泣くかなぁ。涙もでないかな。でも、わかってた。こうなるだろうとおもってた。でも、マスクの中のバッチリメイクした可愛い私を彼にみてもらいたかったなぁ。

 

 

 

 

彼には私の抱く感情が全くないことが

すごく腹立たしくて

悔しかったけど、

彼のクレイジーなノリはやっぱりちょっと好きだった。

 

もう自分から連絡しないよきっと。

向こうのめんどくさい対象になりたくないから。

 

いい思い出になったなぁ。

色のない今年を様々に彩る

素敵な人でした。

 

もう会えない。ライブに行けば見れるけど、きっと会いそうな物は行かない。行ったとしても、もう話すことも目を合わせることもないだろう。

 

ただ、一人で自分が好きなアーティストと対話をする。それだけ。一人で看板と自撮りして、その写真を誰に見せるわけでもなくswamに記録して、そそくさと帰る。

そんな今までのライブと変わらない参戦のしかたに戻る。

 

それがよかったじゃないか。

誰かと楽しむと好きなものが好きな人に吸いとられてしまう。ならば本当に好きなものは誰とも関わらず一人で楽しめばいいじゃないか。

 

なんてはげましてみても悲しさは消えないが、そんな私の全てを愛してる。

悲しみに包まれて眠るのも悪くない。

君になりたい

最近、関西弁を話す関西圏の人ばかり気づいたら好んでいる。

想いを寄せる彼も当然含まれる。

しかし、そこで疑問に思ったことがある。

 

関西弁が好きだから彼が好きなのか?

それとも、彼が関西弁を使ってるから、彼と同じ関西弁を使う人に彼を連想させて好きになるのか?

 

彼が欠片なのか?欠片が彼なのか?

 

卵が先か鶏が先かくらいどうでもいい話なのでこれはこれくらいにする。

が、にしても、関西弁は良い。なぜかとても魅力を感じる。不思議だ。

 

 

ベッケンバウアーで、最近、誰かにとっての「君」になりたいとしばしば思ってる。

音楽などでだいたいメインで出てくる「君」という存在。日本には特に自分の話よりも"「君」を想う曲" が多い。

 

誰かの想う「君」に私が選ばれてたらと思う。

贅沢を言うなら君の「君」になれればいいのに。

 

冬の寒さのせいもあるが、最近、孤独をとても感じやすい。だれかの目、頭、存在の中に私は存在しないのではないかと思うことがある。

 

そんなときは、極力意味のない写真をインスタグラムのストーリー機能や、LINEのタイムラインで投稿し、閲覧者を確認し、誰かの視界の中に私が存在していることを確認する。

大体、そんなに仲良くない人が見てることが多いが、話しかけても平気そうな人には個人でメッセージを送ることもある。

 

こんな無礼でアタオカなことができるのは無論酔っているからである。酒は忍耐力と判断力を狂わす。

酒が嫌いになってきつつあるほどだ。

それでもあると飲んでしまうが。

 

君には絶対連絡しない。

思い出しながら泣くこともあるけど、

それでも酔っていても何してても、

君にはなにもしない。

 

その理性だけ残ってるのが悲しい。