自由

この絵を見て何をおもったか

 

芸術学の授業の際出される課題だ。

おもった事をコメントシートに書き、当てられたら発表しなければならない。

芸術が自由で絵から何を感じても自由であるのだとすれば、なにも感じないこともまた自由のひとつなのではないか。

 

はっきりいってゴッホの人生がどんなに悲観的なものであっても私には何の関係ない。

だから何?と私はゴッホに言い返したい。

ゴッホが現在生きていて、かつ、私の友人であれば、私は彼のためにどうしてあげたいかを考え実行したいと思うかもしれないが、とっくの前に死んだ人間のことなど、考えても仕方ないと思う。

 

非道だとか、無情だとか言われるかもしれないが、他人の痛みは自分の痛みではない。

請け負う義理もない。

 

ゴッホが悲しみを絵に表したとこで、私に出来ることはなにもない。

 

しかし、私の持っている悲しみを彼が器用に表現してくれているのだとしたら…否、だから何だというのか。

 

今の私にはわからない。

今の私には感想がないという感想しか出てこない。それがいけないことなのかもわからない。私だけの感覚かどうかさえ。周りの人間は本当にこんなよくわからんおっさんの書いた絵を見て感情が動いているのだろうか。

 

絵を見て感想が溢れ出すようになったとき、きっと私はもうこの芸術学の授業を履修していないだろう。

 

だがしかし、そのいつかがもし来たときに授業の内容が私とリンクするために、今はただの色の塊だとしても、おざなりにしてはいけない。

 

私は来週も再来週も、先生の意見や言葉に反抗心、反発心を抱きながら、やみくもに、しかし先生の声に耳を傾け、絵に目を背けずに芸術学を履修する。