友達と12月

岡山の友達に夜行バスで会いに行った13日夜~16日朝。

Nちゃんは私と性格が反対で、嫌なことや否定的なことなどでも言い方気にせずに、をなんでもズバッと話す。

言い方が強くなってしまったから次からは気を付けると口癖のように話すわりには、自分はそういう人間であると割り切っていて、一向に気を付ける素振りを見せなかった。

熱量に波があり、イマイチ考えがつかめないため、気苦労する場面があったが、対立する相手だからこそ、とても良い経験になった。

 

就活の時に仲良くなった友達と女子旅切符で逗子葉山に行った16日。

夜行バスで東京駅着いたその足で行ったため、バタバタだった。

男性関係や身のこなしなどが真面目で、他人の目を気にするタイプだから、はっちゃけるような旅ではないし、優柔不断でなかなか選択が決まらなかったけど、当たり前のようにクルーズの予約を率先してやってくれたり、何事も楽しんでくれた。

 

高校の親友とお互いの家の中間地点で飲んだ17日。

相手側からラウンドワンに行きたいという要望で会うことが決まり、生活習慣が整っていないという理由で午後集合を持ちかけられ、動く気分じゃないと言われて夕方から近くの駅にある居酒屋で飲んだ。

居酒屋もなんでもいいという割に行ったことないところは不安だとか、様々な理由でなかなか行くところが見つからなかった。

気分が塞いでいるのかと思ってそんな態度でも許していたが、そういうわけでもないと言い、なんて気難しい女だ。と思った。

友達が酔っぱらって気持ち悪くなってしまったと言い、心配になったので、家(実家)にお邪魔し、泊めてもらった。着替えなどで友達が席を長時間外していたので、ご家族とたくさん話し、パパさんの自慢話を聞いたり、ママさんとテレビを見ながら世間話をした。友達から「(筆者)ちゃんはそういうの平気だし得意なタイプだから」みたいに言われて、全然平気じゃねーよ。と思った。

でも、この年で友人の実家にお邪魔する機会はなかなかないし、その子自体はいい子で好きだし、気難しい人とうまく関われれば対人関係スキル向上につながるから、良い経験になったと思う。

 

内定者懇親会に参加した21日。

個性の強い3人といろんな方向に芯のある4人の先輩と社長と、居酒屋で食事会をした。

帰り、電車が止まり、お母さんにお迎えを頼み、初めて出会った同期の女の子も車で家まで送っていってもらった。帰ってきたときには夜中の2時を過ぎてて、お母さんに申し訳ない気持ちになった。自分もだいぶ疲れた。

 

元芸人の友達とカラオケに行った22日。

今まで記述してきた人たちと話すより1000000倍話すのが楽で、気を使わない数少ない友達の中の一人だ。カラオケして歌い方の指導をしあって、私がした質問にポロポロと答えてもらうだけ。21日までで人付き合いに疲れていたから癒されたし、無理しなくていいんだと思えた。ずっと友達でいてほしいと改めて思った。

 

女装男子とイルミ行って他の人と飲みに行った25日。

女装男子エスコートかなんかをしたかったみたいだったけど、終始不規則な歩行速度で付いていくにもストレスで、うまく出来ないことを慣れてないからなどと言い訳ばかり語っていたため、腹が立った。「自分が努力して得てきたものを他人が努力しないで得る」ということがまだ受け入れられないのだと、自分は心が狭いなあと思い、自分にも腹が立った。

腹が立ったから別の男友達を誘って飲みにいった。絶妙に話を傾聴してくれて立ってた腹が座ったどころか寝ころんだ。(笑)

飲み終わったとき、その人が帰る家がないと言っていたので、私の実家に一緒に帰った。二晩、二人でこたつに寝っ転がりながらネットフリックス見たり、家族とそいつの面白い現状の話を聞いたりしてなんの下心もなく過ごした。

 

一番好きなアーティストの締めライブに行った27日。

25日からの友達を駅に送るついでに自分もライブハウスへ。

行ったときにはもう整理番号順に並ばれてて列に入るのに苦労した。整理番号3番で入り、最前列と思われるところに荷物を置いて物販を買いに行ったら、現実的に立つことができないような、その前の場所に荷物を置かれていて、二列目になってしまった。すごく腹が立ってせっかくのライブなのにイライラしながらでしかライブを待つことができなかった。ライブ中もその人が壁となり、一番好きな推しを眺めることができず、めちゃくちゃ残念なライブ収めとなった。

 

(自称)音楽好き6人で宅飲みした28日。

今まで数回開催されてきたが、今まであまりこの会は好きではなかった。

そのため、不満や退屈をお酒で流し込み、いつも潰れてしまっていた。

今回は主催者のいとこが初参加していたことや、開催20日前に一番取っつきやすいお姉様と差し飲みしていたことがあり、いつもより心に少しだけ余裕ができた。

それでもMAXで楽しかったわけではなかったが、お酒を飲みすぎることはなかった。そして、お酒を飲まなくてもお酒を飲んでも楽しさは変わらないということがわかった。お酒で流し込んでいたと思っていたものはいつも喉に詰まっていて、帰るときの満足度はいつもと変わらなかった。

電車ではなかった私は忘年会中に軽く寝て、みんなより少し長く片付けをしてから帰った。家主が玄関まで見送ってくれて、じゃあまたと別れを告げたとき、少し含んだ言い方で「うん」と言われて少しだけドキッとした。

 

塾のバイトで初の担当する子についた29日。

その子は中学1年生で、英語を教える予定だったが、英語を教わる予定はなかったらしく、数学を教えることになった。

数学は苦手だったが中1の範囲ならいけるかと思って引き受けたが、結果、そこまでいけてなかった。

授業中、突然彼は、「自分は保健室ばかりで教室にあまりいけない」という話をしてきた。周りの人の感情を過剰に受け取りやすく、教室に入ると怖くてお腹が痛くなってしまうらしい。初対面の生徒から会って45分ほどでそのような重ためな告白を雑談として聞いたことが今までなかったから驚いた。

自分の対処法を提案してみたり、話に深堀りや傾聴をすることで、できるかぎり誠心誠意で話に向き合った。数学を教えることより、年の離れた人間と話すキッカケがあることのほうが活動拠点の狭い中学生が生き残っていくために必要だと考えている私は、そのような話を切り出されることが嬉しかった。

親でも先生でも友達でもないからこそ言いたい話があるのだろう。でも、それを聞いてくれそうだと話を切り出す勇気を私に使ってくれたことは、自分の醸し出すオーラが間違っていなかったのだという自分の自信につながる。

 

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これは12月13日からであるが、書ききれないだけでその前にもいくつも人と会う予定があった。記事作成日より前にもブログを更新したかったのだが、うれしいことに、人と会う予定とその準備で忙しく過ごさせてもらったので更新できなかった。

12月はコロナが終息しつつあることもあり、みんな遊びたい欲を開放してきているように感じ、周りの人が誘ってくれたり遊んでくれるようになったように感じた。

それで今までの月で遊べなかった分がまとまって12月に集中したため、とてもたくさんの人と会い、たくさん考えることがあった月だった。

 

4月までは生活が変わるわけではないから何を締めくくっているのかよくわからないけど、特段今月はドラマの最終回みたいな濃密な月になった。