構成する背景

私は学校をほぼ休みなく通い、両親と仲良しで、本をあまり読まない。

教養が足りないと思っていないし、友人は持ちつ持たれつで成り立っていると思っている。

 

私はこんな私を正しいとおもっている。しかし、これが正しいとは思っていない。

 

これは、私の生活から生まれる私の考え方であり、私以外の人に当てはまらない私だけの信念である。

 

 

私と彼女はなにもかもが違っている。

 

彼女は人間関係を損得勘定で決定する。

自分に教養を与えてくれる存在でなければ関わる価値がないという。

 

自分に何も与えてくれない存在、自分を否定したり、考え方が違う存在は容赦なく切り捨ててきた。

 

私はそれ自体の行為が善悪で判断できるものではないと考えている。

 

彼女の背景がその思考を構成していると考えるからだ。

 

彼女は小学校低学年からまともに学校に行っていない。両親との関係も悪く、人から教えられて養う能力を得るための機会が一般的な生活をしている人より圧倒的に少ない。

 

しかし、彼女はそのハンディに負けないほど...いや、負けないように、文学に触れてきた。

まわりくどくて堅苦しくて口語では使わない表現や、複雑な考え方、謎を理解する(本当に理解しているかは定かではない)ことが、周りの人間と対等に話せるステータスとなっている。ように思う。

 

そんな彼女にとって、与えられてきて当然だったものが与えられなかった彼女にとって、与えてくれる人間を必要に思う事は不思議なことではない。

 

だれかにそのことを責め立てられたり、批判される筋合いもない。

 

彼女の背景が彼女の人格を形成し、それに応じた人間関係を構築しようとする。

至って普通のことだ。嫌なら彼女と関わらなければ良い。彼女の考え方がうまくフィットする人が彼女の周りに残ればいい。

 

ただ、それだけのことだ。