能動的な刺激と溜まっている日曜日

今日は暇だったから、元カレの誕生日から人生をいろいろ振り返っていた。

そういえばずっとおんなじような人を好きになっていたなあなんて。

彼氏になる人はいつも少し弱くて甲斐甲斐しくて私のために時間を作ってくれてあんまり女性が背後に見えない人でうんうんと話を聞いてくれて私を蝶よ姫よと女の子扱いしてくれて1人の人間として見てくれてたしリスペクトしてくれてた。

好きになるけど彼氏にならない人はいつも自立しててめんどくさがりで気分屋で1つのことに打ち込む職人気質だから多忙で女性関係はないけどなかなか構ってくれなくてでも話を聞くのも話すのも得意だからお話するのが楽しくて私を女の子扱いはしなくて都合が良い時に構ってくれる程度だった。

だから毎回、彼氏がいても好きな人がいて、彼氏の良さを見失いそうになって、彼氏がそれに凹んでくれて、その姿が可愛いくて可哀想だからやっぱり彼氏には私がいなきゃダメだし私にも彼氏がいなきゃダメだという思考に落ち着く。

みんな私を真新しいと面白がるけど、私はずっと私だから自分のことを新鮮とは思わない。

今まで全部を同じことをしているわけではないけどいつも同じ流れに行き着いてしまう。言うなれば吉本新喜劇みたいなものだ。設定は毎回違うのに同じようなボケと同じような展開。中学生の私が新喜劇に飽きたように、大人になった私も飽きがくるのだろうか。

 

こう文字を打ち込んでいると、自分の成長の理由は体内から言葉を放出しているからだと見に染みて実感する。いつも自分が答えを出すときには元々自分の中に答えはなくて、自分の中にある老廃物のような言葉を誰かに、ブログに放出して体内を空にした時に答えが涌き出てくる。だから、自分の意見を上手く引き出してくれる人を魅力的に思うし、そういう人とたくさん話してきたから自分で答えを出すことが出来るようになってきた。

逆を返すと、たくさん成長するにはたくさん放出して自分の老廃物を空にしなくてはならない。し、今の状態としてそれがあまり出来ていないから成長が遅いし出来ていない。

文章打つと話すより時間がかかることを考えると、それに対する対策を講じなければと思うし、多忙でも文章を書くことを止めてはいけないとも思った。

成長の刺激はその会話をしないと受け取れない。でも相手が成長してる過程では時間は財産。もらうなら何かの財産で返さないと。返せるようにするためには成長しなければならない。

考えが足りてない。放出が足りてない。貯められてないし溜めてしまっている。変わらなきゃ変わらない。進め。進め。