学びたいと思った日には授業ない

毎週授業あると思ったら今日はなかった。

カウンセリングをここまで欲したのは初めてだった。アドバイスや相手の主観を抜かして、ただ、話を聞いてほしかった。悩みに「御一緒」してほしかった。そうやって悩みを自分でどうにか解決したいとおもった。

 

ブログで書く文章は私にとってはきっとカウンセリングと同じ。自分の問題や感情を全て出して可視化して明確にして整理(できてないかも?)して少しずつ進んでいく。

疑問というか、不安に思ってることがある。それは、雲のように分散して滞留しているものを言葉や文字によって形にしてしまったら、その気持ちを自覚してしまうのではないかということ。

モヤモヤという感情を嫌だという言葉に形成してしまったら、モヤモヤの時に見て見ぬふりできていたものが許せなくなってしまうような気がするし、なんなら感情が巨大化してしまいそうになる。

 

嫌いになりたいことなんてないから、基本はなんでも上手く折り合いをつけて仲良くやっていきたいじゃん。

嫌だって決定してからそれを嫌じゃないと思うことなんて出来ないだろうし。

そりゃ雲1つない青空が理想なのは分かっているけど、雨が降るよりは曇りのほうがいいかなとも思うし、雨が止んでも雲がいなくなるとも限らない。風でどっかへ飛ばせるのか、雨にして海に返さないと無理なのか分からないのが不安で怖い。

あの雲をドーナツにして食べれちゃえばいいのになんて、思ってみたりして。あーあ、なに言ってんだろ。

やめちゃえなんて言うのはすごく簡単でやめちゃうのもすごく簡単なんだけど、きっとそんなに簡単にやめちゃおうと思えないからこんなにしんどいんだろうね。

なんなら、このままにして続けるのもきっと簡単で、解決するのって本当に本当に体力使うし、解決したからといって1000万円もらえるわけでもなければ全てがハッピーになる訳ではないからコスパはすごく悪い。

しかも、解決ってほとんどの場合一人でできるものではなくて、人と関わるから問題が起こるわけで、歩み寄りや協力が不可欠になる。自分がどれだけ頑張って変わっても相手がそれを拒否するなら解決はしない。

じゃあどうしたらいいんだろうね。解決しないまま、解決する方法を学ばないまま、これから先ずっとやめたりそのままにしたりしながら漠然と生きていくんかね。それでいいって私は本気で思ってるんかなぁ。

きっと、今なら、私なら、私たちなら、どうにかできるかもしれないという期待とか、どうにかしたいという願望とかがあるんじゃないかなぁ。

微かな信じたい気持ちと、たくさん不安や疑念に押し潰されてる気持ちがクライマックスを迎えている。物語は12話前半20分。最終回はスペシャルだから1時間30分。残りあと1時間10分。あとひと波乱を越えればワンクール分の終わりが待ってる。続編があるかはこのクライマックス次第。ここが正念場なのかもなぁ。