研修が4日間あった。5日目には登山をした。
新卒向けに開かれたそれらは私にとって不愉快なものだった。
決めつけられて押し付けられて洗脳されて。
「今まで学生気分でしたがこれからは社会人として頑張ります」と言わせる為だけの研修。
会社様は言葉攻めがお好きなようで、私たち新卒に会社様の都合のいい言葉を言わせたがる。なんてドSなんだ。
気持ちよくないのに「これがいいだろ気持ちいいだろ」と突く。やっていることはほぼレ○プ。
そんなことを耐えないと次の地獄には行かせてもらえない。
周りはクスリを打たれたかのように従順に手懐けられている。
そんなアへった人たちがあーだこーだと私に「仲間からのアドバイス」というそれはそれはとても有難いナイフを投げてくる。
講師から言われた講師の意の通りの範疇からアドバイスを投げる彼らはそれはもうゾンビのようで薄気味悪かった。
講師はゾンビになることを「素直」といって褒め称え、それをしない私を「頑固」だとみんなの前で罵った。するとゾンビたちは今まで一言も使ってなかった「頑固」という言葉を寄って集って使いながら、あたかも自分の意見かのようにしてアドバイスした。不愉快極まりない。
私の基準の「素直」の定義がある。
それは、なにも考えずに言われたことをただやることではない。
考えられないことはやってみる、考えられることは柔軟に考えた上で意識してみること
が私にとっての素直だ。
会社様は「自分なり」を嫌う。会社とは考えの違う人の集団行動だから、私も言いたいことは分かる。ただ、自分なりにならずとも、「自分でも考える」ことは大切だと思う。
私は誰よりも他人の一言を真摯に受け止めている。
流したフリをしても何年後になるまで流せていないほどに。
でも私は傷つくために生きているから、流せるようになんてなりたくない。
鬱病になると心配されるような危険な道だとしても、そのギリギリのラインを歩かないと出来ないことがやりたいから。
あの時救えなかった命を救える世界をつくりたいから。
大切な人を救える自分になりたいから。
大切で尊敬するあの人の痛みや苦しみや悲しみや喜びが少しでも多く分かるようになりたいから。
私は全てを手に入れることを諦めない。
ゾンビになりそうな自分とも闘いながら生きていく。
生ぬるい環境じゃ苛立ちすらもまともに経験できない。苦しさに闘わないと、闘ってきたあの人と対峙することは出来ない。
大好きなあの人に一歩近づくためなら、苛立ちすらも愛しい。
成長痛を感じる度、あの人は優しく寄り添って私を伸ばしてくれる。
パブロフの犬だとしても、癒してご褒美をくれるから今は痛みが心地好い。
折れるまでは真っ直ぐこれで。