4/14のメモ

また知らない人と会った。
20:30~22:30と
23:58~24:30の2人。
2人とも話が苦しかった。
1人目は早口高飛車SE。
2人目は自己中広告マン。

最近の私が、少し歪んできてるのもあるんだけど、最近の人間関係なかなかうまくいってなくて、気を許せる優しい誰かに負担をかけさせるか、気の合わない他人から負担をかけられるか。

2人ともあまり楽しくはなくて、私のことを若いと彼らは言った。それはあまり良い意味ではなさそうで、相性が悪かったのかなと思う。

最近、私は誰からも嫌われているのかなとよく思う。
それは、気のせいなのは分かっているのだけど、人に優しくしなきゃだれも好きになってくれないと奥底で思ってるし、心の裏まで見せないと深い関係にはならないと思ってるのになかなか相手に自分をさらけ出すのができないから、どうしてもネガティブになってしまう。

頑張れば頑張るほど裏目に出ていく。

なんか寝れない日が増えた。インスタの検索画面の動画をスワイプしてたら深夜3時とかになっちゃって、7時とかに起きなきゃいけない日に限ってうまく寝れてなかったりする。

今までが都合の良い体過ぎて、多少のガッツでコントロールできない領域までコントロールすることができていた。なんか、そういうのがどんどん出来なくなってきた。
そして、最近ブログを書いてると涙が出るようになってきた。
悲しみが増幅されて放出されるからだと思う。
ネガティブなこともポジティブなことも、disもThanksも全てそのままにブログを書くことが、自分を愛すことに繋がっているんだとおもう。

昔は「快適な人」が何人も毎日のように会えていて、だからこそ、「不快な人」と出会うことは快適な人と話すときの酒のツマミになると思えていたし、改めて快適な人を愛するキッカケにもなっていたから、新しい人と出会うことに前向きだった。嫌な気持ちになってもその次の日には誰かに話してスッキリしてたから、面倒とおもうこともなかったし、疲れることもなかった。
元気に外に出る自分を快適な人たちは尊敬してくれたし、戻ってきたら温かく迎え入れてくれた。面白そうに奇想天外な土産話を聞いてくれた。それが当たり前になっていた。

今は快適な人と会うことも減った。
不快な人と合わないと人間と会うこともなくなってしまうので、今日こそはと当たりの出ないくじを引き続ける。
ふと、自分が何をしてるのか分からなくなる。
快適な人たちは一気にプツンと切れたわけではないから、脳は不快な挑戦をすることで刺激を求めたがる。なのに体も心もついていかなくて、他に自分を楽しませる方法が分からなくて、負のサイクルにまた足を踏み入れる。

まだ、快適な人の数人が愛想をつかせず相手をしてくれる。忙しいのに電話に出てくれる。話すと長い詰まらない話を絶妙な温度感で聞いてくれる。めんどくさそうなのは薄々気付いてるけど、彼らがいないと私はきっとまた生が苦になってしまうから、今はまだ気付かないふりをしてストップがかかるまで話す。

ありがとう、ありがとうと言ったり思ったりしながら。
君らがいるからまだ不快が許せるよ、不快を溜め込んで爆発しそうな私がまだ人間の形を保てているよ、迷惑な時間に電話してしまったりしてるから大切にできてるとは言えないかもしれないけど感謝の気持ちは忘れてないよ、と心で思ってる。

多分今戦えないけど、死ぬほどではないから、まだ。